総フォロワー20万超「元保育士芸人」が、あえてバイトを辞めずに芸人をする理由。

保育士経験を活かし、YouTubeやInstagram、TikTokで「保育士あるある」動画を発信している、お笑い芸人の「元保育士たいこ」さん(以下、たいこさん)。卒園シーズンに投稿された「ある園児との出会いと別れ」をテーマにした動画は50万回以上再生され、現役保育士や保護者の共感を呼びました。SNS総フォロワー数は20万人を超えます。

一方でたいこさんは、2007年にお笑い芸人になって以来、約10年間は「芸人としての年収はゼロ。むしろ数万円の赤字だった」という遅咲きの苦労人。その歩みの背景には、どのような努力や苦労があったのでしょうか。たいこさんに伺うと、彼女がモチベーションを保ち続けることができた、等身大の理由が見えてきました。

家族の反対を押し切って上京した

——たいこさんは、芸人になるのが夢だったのですよね。なぜ一度、保育士の職に就いたのですか。

私は中学校時代からお笑い番組が好きで、芸人への憧れがあったんです。文化祭で友達とコンビを組んでネタを披露したりしていました。でも、将来のことを考えると、「芸人を夢見る自分」と「現実的で冷静な自分」が常に心の中に両方いて。

結局「現実的で冷静な自分」が勝って、幼児教育科のある短大に進んで保育士を目指しました。小学校の時から図工の成績だけは良かったことと、幼稚園時代に大好きな先生がいたことが、保育士を選んだ理由です。

でも実際にはたらいてみると、図工のスキルより何より大事なのは「体力」だと知りました。私はもともと病弱ではないのですが、保育士になった途端、子どもたちの風邪や病気をすぐにもらうようになってしまって。風邪をこじらせて、3年間で4回肺炎になったんですよ。

今思えば忙しさから免疫力が落ちていたのかもしれませんが、さすがに4回目に肺炎になった時、保育士を辞めよう、と決めました。

——もう保育士は無理だと感じた時、どんな心境でしたか。

相当落ち込みましたね。

自分には保育士の資格しかないのに、それがだめなら今後どうすればいいの?と。実家暮らしだったので、すぐに衣食住に困ることはありませんでしたが、家族からもきっとがっかりされるだろうな……と思いました。

——なぜ、芸人の夢を追いかけようと思ったのでしょうか。

人間の身体って意外と脆いんだな、と痛感したからです。

肺炎で入院した時、呼吸困難になって一瞬「死」が頭をよぎったんですよね。その時思ったんです。「芸人」と呼ばれないまま人生終わるのは嫌だなって。「芸人になるぞ」というよりは、「何がなんでも、一度でいいから芸人と呼ばれたい!」という気持ちでしたね。

実は保育士の仕事をしながら、地元の小さな劇団にも入っていました。芸人に通じることを何かしてみたくて。そこで演技を学んでいたのが唯一の自信になって、芸人を目指そうと決めたんです。

当時は島根に住んでいたので、2年間アルバイトをしてお金を貯めて、家族の反対を押し切って上京しました。

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芸人の収入は赤字。必死にバイトを探した

——なんのツテもない中で、どうやって芸人の仕事を探したのですか。

2007年、26歳の春に上京してすぐ、インターネットで中野区にある「Studio twl」というライブハウスを見つけたんです。そこではネタ見せ(オーディション)にさえ参加すれば、よっぽどのことがない限り誰でもライブに出演できるシステム。もちろんギャラは発生しませんし、毎回数千円の出演料を実費で払う必要があります。

初舞台のお客さんは4人。そのころは、青木さやかさんや鳥居みゆきさんがブレイクされていて、女性芸人=毒のあるネタが主流の時代でした。そこで私もピン芸人として、保育士とは関係のないブラック系のネタを披露したんです。4人のお客さんが、耳を澄まさないと聞こえないくらいの小さな声でしたがクスクスッと笑ってくれて。

うれしくて、ネタが終わると同時に号泣しました。


InstagramやYouTubeでの「保育士あるある」動画が人気のたいこさんだが、芸人になったばかりのころのネタは、保育士とは無関係だった

——そのころ、生活はどうされていたのですか。

芸人としての収入は赤字なので、アルバイトをしていました。給食センターでの皿洗いや居酒屋、日雇いのバイト……。芸人になると決めてから2009年に結婚するまでの約4年間、バイトは20個以上経験しましたね。

お笑い芸人の世界では当時、「芸人一本で食えないやつは芸人と呼べない」という根性論のような風潮がありましたが、私はいつもタウンページやハローワークで必死にバイトを探していました。

だから、駆け出し芸人のイメージにありがちな「超極貧」ではないけれど、狭くて壁の薄いアパートのワンルームで、節約のために100円のマックポーク(マクドナルドのハンバーガー)をよく食べていましたね。

——「保育士ネタ」は、いつからやり始めたのでしょう。

芸歴20日目の時です。自分がやれるキャラってなんだろう?と考えた時、保育士経験を活かすしかないと思いました。実際にやってみたら、芸歴は浅くても保育士経験なら3年あるせいか、自信を持って舞台に立てたんですよね。ネタは「保育士あるある」ではなく、性格の悪さを全面に押し出したようなブラック系の内容でした。