秋葉原は、今もアニメやゲームの聖地として知られます。ですが、近年は観光地としての需要が多く、海外観光客の姿が目立つようになりました。また、道端にはコンカフェの呼び込みが所狭しと並んでおり、かつてとは異なる様相を見せています。秋葉原はどのように変化していったのでしょうか?



変わらぬ風景は鉄道だけ? JR秋葉原駅前の交差点(マグミクス編集部撮影)

【画像】え、ズラリと並んだ女の子たちは何…? これが「現在の秋葉原」の風景です(5枚)

絶えず変化を続けてきた秋葉原

 秋葉原が、また変わろうとしています。2024年のゴールデンウィーク明けには秋葉原駅構内の「東京じゃんがら」や、電気街口側にあった回転寿司「うず潮」やコーヒーショップ「BECK’S COFFEE SHOP 秋葉原電気街口」が閉店しました。

 しかし、なくなるものもあれば、新しくできたものもあります。代表的な例としては、中央改札前に、「Yostar OFFICIAL SHOP JR秋葉原駅店」が開設されたことが挙げられるでしょう。全長30mにも渡る巨大な屈曲ビジョンの存在感は圧倒的です。

 駅構内でも、現在は新たな駅ナカ商業施設「エキュート秋葉原」の開設準備が行われており、間もなくさらに賑やかな駅になるのは間違いありません。

 秋葉原は、昔からこういう街でした。ついこの間まであったものがなくなり、新しいものが出てきて、数年後に入れ替わる、新陳代謝の激しい街です。1928年、今から約100年前に神田青果市場(やっちゃば)が誕生し、戦後は闇市として賑わいました。この闇市では電気部品が多く取り扱われており、闇市の廃止後は「ラジオストアー」や「ラジオセンター」へと移行します。後に「電気街」と呼ばれる礎(いしずえ)を作ったのです。

 その後は家電が人気の商品となり、その一環としてPCも取り扱われるようになりました。PCを扱うとなれば、ゲームも必要です。PCゲームから家庭用ゲーム、さらにはアニメ関連の商品も扱われるようになり、いつしか「アニメ・ゲームの聖地」と呼ばれる秋葉原になったのです。

 なぜ、このようなフットワークの軽い動きができたのか。それは、秋葉原には小さいビルがたくさんあるからです。小さいスペースを都内としては比較的安く借り、そのとき流行りのものを取り扱うやり方が可能だったのです。

 2~30年ほど前の秋葉原をご存じの方であれば、PCのパーツ店や18禁ゲーム店、同人誌を取り扱う店、グッズを販売する店などが次々と現れ、その一部だけが生き残り、多くは消えていったことが思い出せるでしょう。個性ある思い出深い店が、数多く存在していた時代でした。



秋葉原駅の東側で圧倒的な存在感を放つ「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」(マグミクス編集部撮影)

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2005年、最も大きな変化が起こった理由

 秋葉原に最も大きな変化が訪れたのは、間違いなく2005年です。つくばエクスプレスが開業し、中央改札が新設されて乗降客数が大幅な伸びを見せ始めました。超巨大な「ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba」も開業し、便利にはなりましたが、小規模な家電及びゲーム取扱店にとっては大きな脅威となりました。

 廃止された駅前の青果市場跡は一時バスケコートとして使われていましたが、ここに「秋葉原ダイビル」ができたのもこの年です。また、『電車男』のTVドラマが話題となり、ドラマの舞台としての秋葉原を観に行く人が増え、「観光地としての第一歩」を踏み出したのも2005年です。都市計画にドラマのヒットが重なり、今の秋葉原へとつながっていく、まさにターニングポイントといえるでしょう。

 このあたりからメイドカフェが登場し、現在ではコンカフェ(コンセプトカフェ)の呼び込みと外国人観光客が目立つようになりました。しかし、秋葉原がいつまで変化を続けられるかは分かりません。

 その大きな理由は建物の老朽化です。かつて秋葉原のシンボルだった「肉の万世」が閉店したのは、新型コロナウイルスによるダメージもありますが、ビルの老朽化も理由とされています。最近ではビルが停電を起こし営業不能になる事例が数回発生しており、老朽化の影響は大きいと思われます。

 秋葉原は狭い地域に小さなビルが乱立しており、大型の建機を入れるのも、権利関係の処理も、多くの問題が立ちはだかるでしょう。表通りのビルであればやりやすいでしょうが、路地裏の建物となると難しいのではないかと思えます。

 また、当然ながらネット通販の発展により、秋葉原へ直接足を運ぶ理由は減りつつあります。それでも秋葉原を愛し、魂を引かれた方々にとって、かけがえのない聖地であることも間違いありません。何かの折に秋葉原へと足を運ぶ人の列は、まだ途切れることはないでしょう。