人間だった頃の記憶を忘れて強さのみを追求していた「猗窩座」が、もしも無惨ではなく産屋敷の一族と出会っていたらどうなっていたでしょうか?



『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』キービジュアル第3弾 (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

【画像】やっぱり鬼は許せない! こちらは猗窩座が殺した鬼殺隊メンバーです(4枚)

至高の強さを追求する猗窩座

『鬼滅の刃』ではさまざまな経緯で鬼と化した人間が登場します。そのなかでも特に印象的なのは、映画『鬼滅の刃 無限列車編』で「炎柱」である「煉獄杏寿郎」と激闘を繰り広げた「猗窩座(あかざ)」でしょう。

※この記事には『鬼滅の刃 柱稽古編』以降の内容を含みます。

 彼は自暴自棄になっているときに「鬼舞辻無惨」と出会ってしまい、力を求めて鬼となりました。では、もしも鬼舞辻無惨ではなく産屋敷家の人間と出会っていたら、鬼と化して強さを追求し続ける運命は変わっていたのでしょうか。

守りたいものを失い続ける狛治

 猗窩座が人間だった時の名前は「狛治(はくじ)」といい、病気の父親と貧しい暮らしを送っていました。狛治は父親の薬代のために盗みを繰り返しては、捕まるたびに厳しい罰を受けます。しかし父親は狛治が罪を犯してまで生き延びることを望まず、自ら命を絶ってしまいました。狛治の行動は父親をかえって追い詰めてしまったのです。

 その後、狛治は「素流(そりゅう)」という素手で戦う武道の師範である「慶蔵(けいぞう)」と出会い、その娘である「恋雪(こゆき)」と心を通わせるようになります。しかし尊敬できる師匠と恋人を得た狛治の幸福な時間は束の間でした。

 道場とその土地を我が物にしようとする剣術道場の陰謀によって、恋雪と慶蔵が毒殺されてしまったのです。絶望に打ちひしがれた狛治は復讐に燃えて剣術道場に殴り込みをかけ、身につけた祖流の技で門弟67人を惨殺しました。

 狛治が無惨に見出され鬼と化したのは、復讐を終え返り血も乾かぬ頃だったようです。自暴自棄になった狛治が取り返しのつかないことをしてしまった、最悪のタイミングでの出会いだと言えるでしょう。

 鬼殺隊の入隊者は大きく2パターンに分けられます。鬼によって被害をうけた場合と特殊な才能を見出された場合です。大抵は鬼による事件の生き残りが鬼殺隊と縁を結びますが、「恋柱」である「甘露寺蜜璃」のように特異体質が産屋敷の目に止まって迎え入れられることもあります。狛治が鬼殺隊に入隊するとしたら後者のケースだと思われますが、実際はかなり難しいかもしれません。

 狛治が剣術道場襲撃を行っていないタイミングであれば、当時の産屋敷家の人間の目に留まってスカウトされるケースもあり得たでしょう。狛治は生まれつき体が頑丈で戦闘者としての才能を持っていたからです。祖流の継承者として高名になった狛治が鬼殺隊にスカウトされたとしたら、体術と呼吸を組み合わせ、日輪刀なしで鬼を倒す新たな流派の創始者になっていたかもしれません。

※煉獄の「煉」は「火+東」が正しい表記



TVアニメ『鬼滅の刃 無限列車編」キービジュアル (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

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狛治は鬼殺隊に受け入れられたのだろうか

 しかし67人もの人間を手にかけてしまった後では手遅れでしょう。産屋敷は鬼を滅するためであれば、どんな人間でも迎え入れるというタイプではないからです。鬼殺隊の倫理観は一般社会と乖離していますが、戦いの現場から一般人を避難させる手間をかけるほど社会の秩序を重んじています。

 しかも狛治の悲劇には鬼の影がありません。あくまでも人間社会のなかで起きた悲劇です。猗窩座が死に際に悟っているように、過剰なまでの強さへのこだわりは「強ければ不幸を防げる」という誤った信念が原点にあると言えます。

 狛治が父親を助けたければ犯罪以外の道を模索するべきでした。罪を犯さなければ父親が自ら命を絶つことはなく、悲しくはあっても尊厳に満ちたお別れができたでしょう。恋雪と慶蔵が毒殺されてしまった後、狛治はただひとり素流を受け継ぐものとして、悲しみと怒りを堪えて師から受け継いだ技だけでも後世に残すために活動すべきでした。

 しかし実際のところ、上記は極めて残酷で困難極まりない選択です。そして、とても個人では抱えきれないほどの業を背負ってしまったとき、人は鬼になることでその苦しみから逃れます。そして復讐者として不当なほど過剰に割り振られた苦しみを何倍にも増幅して社会に返すのです。

『鬼滅の刃』で一貫して描かれているように、鬼は悲しい存在ですが、同時に絶対に許されることのない存在だといえます。もちろん生来の反社会性、サイコパス性が増幅された鬼が、滅ぼされるべき存在なのは言うまでもありません。

悪魔の誘惑

 無惨には誘惑者としての一面があります。彼は社会や人間関係の軋轢に苦しみ、弱った人間の前にタイミングよく顔を出します。例えば「継国巌勝」も高い実力をそなえた剣士でしたが、決して届くことのない高みを弟の「縁壱」に見出して嫉妬と憧れを混同した結果、無惨の勧誘に屈して「上弦の壱」の黒死牟と化しました。

 狛治が鬼になったのは不意打ちのようなもので半ば強制でしたが「すべてがどうでもいい、つらい思いを忘れたい」という感情があったからこそ、無惨が与えた大量の血に耐えてしまったのかもしれません。もしも狛治が万全の状態であれば鬼に転化させられたとしても、大事なものが何も無い世界で100年以上も戦いつづけなかったはずです。

 狛治が恋雪と結婚して幸せな家庭を持ち、尊敬できる師匠の後継者として名をあげ、産屋敷の人間が勧誘にやってくる。そして鬼滅隊で新たな呼吸を生み出して多くの人を守る。恋雪と慶蔵が毒殺されていなければ、そんな「もしも」の世界線があったかもしれません。