野村芳太郎という名前は知らなくても「砂の器」(74年)、「八つ墓村」(77年)という大ヒット映画を覚えている方は多いだろう。他にも、若き大竹しのぶが女優賞を総ナメにした「事件」(78年)、緒形拳主演の「鬼畜」(78年)、桃井かおり、岩下志麻の「疑惑」(82年)など、高い評価を得た作品が目白押しで「巨匠」と呼ばれるポジションを不動のものにした。
だが、野村が映画界でこうした地位を得たのは遅く、当時だと高齢期に当たる50代後半だった。生涯で88本を監督したうちの、76本目が「砂の器」に当たる。それまでの22年間の監督歴においては「巨匠」どころか、器用な娯楽映画作家扱いをされていたのである。68~72年では、コント55号の主演シリーズを一手に引き受け、70~71年は、ハナ肇が大ブレイクした「為五郎」など、その時々の人気タレントに花を持たせる役目に徹していた。
それがなぜ、突然、重厚な問題作を連発する「巨匠」に変貌したのか? 本書は、野村の生きてきた軌跡を生誕以前にまで遡って追いかけ、その謎をみごとに解明してみせる。
父・野村芳亭は、大正から昭和にかけて監督、さらには撮影所長となり松竹映画を支えた有名な映画人。野村はその長男で、所内の社宅で暮らした文字通りの「撮影所育ち」だ。15歳の時、急死した父の跡を継いで、大卒で松竹の助監督に採用される。
だが戦争で召集され、激戦で有名なインパール作戦を生き残ったものの、5年遅れて監督修業を始める結果となり、後輩に追い抜かれた。スタートで出遅れたわけだ。にもかかわらず父を支えた松竹を愛する野村は、その境遇に甘んじる。東宝の黒澤明監督が松竹で2本だけ撮った際の助監督を務め、黒澤に才能を高く評価されたというのに、監督昇進後も会社の要求に逆らわず、不遇に耐え、命じられた娯楽作品を黙々と作り続けた。
幼少時からの映画ファンである著者は、企業を定年退職後、映画研究に打ち込んでいる。野村の生涯を、映画作家としてだけではなく、松竹株式会社の社員、つまりサラリーマン人生としても捉えてみせる。専門の映画研究者には思いつかない視点が、謎解きの強力な武器となっているのだ。ワンマンの城戸四郎社長に忠実に仕えてきた野村が、長年周到に計画を練って「砂の器」の企画を出す。城戸に却下されそうになるあたりの展開は熱い。
退社覚悟で訴える野村の気迫に、副社長以下の幹部全員が一丸となって賛同し、城戸を翻意させるのだ。さながら企業が舞台の小説ではないか。野村芳太郎論にとどまらず映画会社の物語にもなっている。映画にさほど関心がなくても、企業論として読めば面白いこと請け合いだ。
《「映画監督 野村芳太郎私論」西松優・著/1110円(ブイツーソリューション)》
寺脇研(てらわき・けん)52年福岡県生まれ。映画評論家、京都芸術大学客員教授。東大法学部卒。75年文部省入省。職業教育課長、広島県教育長、大臣官房審議官などを経て06年退官。「ロマンポルノの時代」「昭和アイドル映画の時代」、共著で「これからの日本、これからの教育」「この国の『公共』はどこへゆく」「教育鼎談 子どもたちの未来のために」など著書多数。