セガ初の家庭用ゲーム機「SG-1000」は「ファミコン」に比べて失敗といわれがちですが、実は「成功」でした。なぜ、数々あったライバルハードの中で唯一、ファミコンに最後まで食らいつけたのでしょうか。



セガ初の「ヒットした家庭用ゲーム機」となったSG-1000。元々は予定されていなかったが、任天堂がゲーム専用機(ファミコン)を発売するとの情報をキャッチしたセガが「SG-3000からキーボードを取り除く」という形で急きょ開発・発売した (画像:セガ)

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SG-1000は「思ったより売れた」

「ファミコン」こと「ファミリーコンピュータ」末期に優れたグラフィックやサウンドが存在感を放っていた「セガ・マークIII」や、米国では「スーパーファミコン」に競り勝った瞬間もある「メガドライブ」(現地では「Genesis」)と比べて、圧倒的に過小評価されがちなのが「SC-3000」と「SG-1000」でしょう。

 どちらも1983年7月に発売された、セガ初の家庭用ゲーム機です。正確には、SC-3000がキーボードを備えてゲームが遊べる「ゲームパソコン」であり、SG-1000がそこからキーボードを取り除いてゲーム専用機に特化した位置づけです。

 世間での扱いがどれほど低いかといえば、ほぼ「ファミコンの同時代に敗れていった負け組ハードのひとつ」程度のものです。オーバーテクノロジーのような表現力を備えたファミコンの先進性を示すように、現れては消えていったゲーム機のなかで「そんなものもあったね」くらいです。

 確かに数字だけで見れば、ファミコンが「1983年だけ」で40万台以上も売れていたのに対して、SG-1000は「累計販売台数」で16万台といわれ、足下にも及びません。

 しかし、本当にセガが「失敗」と判断していたなら、そこで家庭用ゲーム機からは撤退してしまい、後のセガ・マークIIIもメガドライブも投入しなかったはずです。当時の家庭用ハード責任者だった佐藤秀樹氏も「思ったより売れた」と振り返っていたのですから、大は付かなくとも「成功」であることは疑いありません。



本来は主役になるはずだったゲームパソコン「SC-3000」。キーボード内蔵で3万円を切る価格は当時としては驚異だったが、ファミコンに対抗するためにコストダウン版のSG-1000が脚光を浴びることに (画像:セガ)

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急きょ「ファミコン並み」にコストダウンしたフットワークの軽さ

 そもそも、なぜセガ家庭用ハードにとって原点となったSC-3000/SG-1000は誕生したのでしょうか。その理由のひとつは「任天堂が家庭用ゲーム市場でうまくやっていたから」です。

 まだファミコンが世に出る前の任天堂は、「元祖携帯ゲーム機」こと「ゲーム&ウォッチ」が売れに売れていましたし、それ以前の据え置き型ゲーム機「カラーテレビゲーム15」などもそこそこ順調だったようです。セガも任天堂も業務用ゲームに深く関わっていたことから、ライバル意識もあったのでしょう。

 もうひとつの背景としては、1982年から翌83年にかけて、安価なホビーパソコンが次々と登場したことです。トミーの「ぴゅう太」やソードの「M5」、バンダイから「RX-78」(ガンダムと同じ型番)、海外からも「コモドール64」などが渡航してくるなどしています。

 そのどれもが、従来のパソコン(ないしマイコン)ほど高価ではなかったとはいえ、数万円はしました。M5が5万円を切る価格で安いと驚かれたくらいです。

 そのようななか、SC-3000は2万9800円という破格の「低価格」でした。「約30000円」→ケタが多いので「3000」が名前の由来であり、価格破壊が最大の武器という狙いです。そのため、ほとんどのパソコンで内蔵していたBASICを別売りにしたり、思い切ったコストダウンを図ったりしていたのです。

 ところが、SC-3000の開発がおおむね終わった頃、当時の中山隼雄社長は、任天堂がゲームに特化したマシンを出すという情報をキャッチしました。そこで鶴のひと声で、キーボードを取り払ったゲーム専用機の開発を指示し、SG-1000が誕生することになります。

 発売日はファミコンと同じ1983年7月15日、価格は1万5000円でファミコンとほぼ互角です。グラフィック表示能力などは明らかに劣っていましたが、ここまで価格的に食らいついたライバルハードは当時ありませんでした。さらに、ファミコンの初期ロットには次々とバグが見つかって、クリスマス商戦時に対象のロットは全品回収となり、セガにとって追い風となります。

 しかもSC-3000/SG-1000は、セガ社内で必死に開発したわけでもなく、外部のフォスター電機にほぼ丸投げでした。それでSG-1000だけでも16万台も売れたなら、大成功に思えますよね。

 こう振り返ると、「ほぼ任天堂のおかげで予想以上に成功」という印象はあります。実際、当時のセガ社員もデパートで販売の応援にかり出され、SG-1000を「セガのファミコンです」といってお客に売り込んだという証言も残っています。



急ごしらえだったSG-1000を元にデザインを刷新し、ブラッシュアップしたSG-1000II。付属ジョイパッドもひとつからふたつになるも、性能が変わらなかったため予想ほど人気は出ず、セガ・マークIIIの布石となった (画像:セガ)