セガ初の家庭用ゲーム機「SG-1000」は「ファミコン」に比べて失敗といわれがちですが、実は「成功」でした。なぜ、数々あったライバルハードの中で唯一、ファミコンに最後まで食らいつけたのでしょうか。
「ファミコンでは遊べない」ゲームを遊べるSG-1000の強み
セガはSG-1000でいちおうの成功は収めたものの、注目すべきは「その後も家庭用ゲーム機ビジネスを続けた」ことでしょう。続けられた理由は、ひとえに「専用ソフトを供給し続けられた」ことに尽きます。
たとえば、本体が相当、売れていたぴゅう太や「スーパーカセットビジョン」でも、専用ソフトは30本前後といったところです。しかし、SG-1000は(別売りのカードキャッチャが必要なマイカードも含めれば)70本以上あり、「ファミコン以外」であれば図抜けた充実ぶりでした。
発売初年だけでも『ボーダーライン』や『N-SUB』『コンゴボンゴ』『スタージャッカー』『チャンピオンベースボール』『シンドバットミステリー』といったラインナップです。ほぼすべてがアーケード(業務用)ゲームの移植であり、まさに「ファミコンでは遊べない」タイトルのオールスターといえるでしょう。
それら全部をセガ社内で開発する力はまだなく、その多くが外注でした。できが良くないものも少なくありませんでしたが、「セガが原作となるアーケードゲームを保有しており、外注の開発費だけで済んだ」ことが重要です。とにもかくにも、枯れ木も山の賑わいとばかりに、数の上ではたいていのライバルハードをしのいでいたのです。
次第にタマ不足で苦しくなり、『セガ・ギャラガ』や『コナミの新入社員とおる君』など、ライセンス料を支払って他社製ゲームを移植するケースも増えたとはいえ、逆にいえば、「家庭用ゲーム」がそこまでして続けたいビジネスに育っていたのでしょう。
丸投げで作らせたSG-1000はツメが甘かったため、翌1984年には、性能はそのままに、デザインも金型も作り直した「SG-1000II」が発売されました。しかし思ったほど手ごたえがなかったため、1985年にはアーケードゲームの移植にも耐えうる真打「セガ・マークIII」が登場しています。
家庭用ゲーム機市場に初参入してから、第3世代ゲーム機を出すまでが、たったの3年強です。セガのノリの良さと「これが駄目なら次」というフットワークの軽さ、高い技術力を持つ自信があるゆえにとことんまで突き進んでしまうところ……といった、後年の「セガサターン」や「ドリームキャスト」の栄光や挫折をまるごと予告していたようなハードこそ、SG-1000だったのです。