就活迷子だった大学4年生の私が、未経験で米国ボストンの保育士になった話。

“結果がすべて”の世界。アメリカではたらく日々は刺激的

——そのほかに、異国ではたらくからこその辛い経験はありましたか?

2022年7月、英語力をもっと鍛えられる環境へ行こうと、あえて、ネイティブの人しかほぼ利用しないボストン・チルドレンズ・ホスピタルの保育園に転職した時のことです。

上司に、皆と同じ仕事をしているのに私だけが毎回怒鳴られたり、挨拶をしても無視されたり、仕事内容について意見を伝えたら「I don’t understand(何を言っているのか分からない)」と聞いてもらえなかったり……ということがありました。

アメリカは「人種のサラダボウル」と呼ばれていますが、日本人が「イエロー」とからかわれたり、現地の人と異なる扱いを受けたりするのは私の生活の中では日常的でした。そうでない人もたくさんいますが、英語が流暢でないと、「この子には何を言っても大丈夫」と思われてしまうことも。

とても辛かったのですが、アメリカに来てから何度も同じようなことがあったので、「しょうがないや」と諦めている自分がいました。でも、約10人の保育士の同僚が、「もう見ていられない。Moe、人種差別を見過ごしちゃだめだよ。声を上げなくちゃ」と、運営会社へ連絡してくれたんです。

今、同僚たちとは、月曜から金曜まで一緒にはたらいているのに週末も一緒に遊ぶほど仲良しです。

——さまざまな辛いことがある中、なぜ、アメリカではたらき続けようと思えるのでしょうか。

最初の1〜2年間はがむしゃらに走り続けていて、「日本に帰りたい」と思うことはほとんどありませんでしたが、生活に慣れてきた時、「やっぱり日本に住んだほうがいいのかもしれない」と真剣に考えたことがありました。日本なら、人種差別もなく、心のストレスを抱えることもないって。

でも、「Moeがいなかったら、この子はこんな風に育っていなかった」と伝えてくれる保護者の方。ベビーシッターの訪問先で、「本当は毎週末Moeに来てほしいんだよ。でも無理しないで!」と言ってくれる家族。血のつながっていない私に家族のように接してくれる友人家族。そして保育士の同僚たち……こうした大切な人たちの存在が、「まだボストンで頑張りたい」と思える原動力になっています。

それとアメリカでは、会社のためではなく、“自分のため”にはたらく人が多いんです。自分が習得したいスキルや、なりたいビジョンが先にあって、会社はあくまでもそれを実現するための通過点。皆が皆そうではありませんが、そうした考えの人が多いので、私もどんどんチャレンジしたくなります。


最近は自分に自信がつき、20ドル(約3,000円)で受けていたベビーシッターの時給を30ドル(約4,700円) 以上に上げたという

——渡米前に抱いた、「現地で辛い思いをしている移民に何かがしたい」という思いは、今実現していますか?

私が今保育園で受け持つのは、2歳以下の子どもたちです。

その子たちに日々「どんな肌の色や目の色をして、どんな言語を話していても、私たちは皆同じ人間。それぞれが尊重されるべき美しい人なんだよ」と、一人ひとりの目を見て伝えたり、絵本やアクティビティを通して宗教や文化の違いを一緒に学んだりしています。それは、彼らが互いを認め合える大人になる第一歩。

直接移民の方々を助ける活動はまだ実現していませんが、未来を担う子どもたちに、「あなたは価値のある素敵な人間だよ」と繰り返し伝えることが、将来、移民の方々を助けることにつながると信じています。

(文:原 由希奈 写真提供:山本萌さん)