本書は、温泉ジャーナリストの著者が、名旅館で見せた有名人たちの素顔を見事に描いている。取り上げられているのは福井県あわら温泉「べにや」、福島県会津東山温泉「向瀧」など20カ所以上。本書を持参して温泉巡りをするのも一興である。
涙を誘うのは、コロナで亡くなったタレントの志村けんと「べにや」のエピソードだ。明治17年創業の老舗旅館である。彼が初めてきたのは平成12年頃。翌年から、毎年1月3日か4日に来館し、3泊から4泊したという。
部屋は「呉竹」と決まっていた。志村は、日中は酒を吞み、温泉入浴を繰り返し、無精ひげを剃らず、浴衣で温泉街を散策した。「気づかれなかったよ」と言い、素のままでくつろいだ。特別扱いの要求もせず、他の客と予約が重複していれば、無理な割り込みは絶対にしなかった。
たった一つ志村が要求したのは「来年は雪を降らせておいてね」だけである。「呉竹」の間から3000平米の日本庭園を眺めるのが好きだったからだ。
平成30年「べにや」は火災で焼失してしまった。志村は再建を心待ちにしていて宿に電話をかけて「再建できたらお正月を待たずに行くからね」と言った。女将はその電話に余程励まされたのだろう。「令和元年11月18日」と電話がかかって来た日付まで記憶しているのだ。
再建したのは令和3年、残念ながら、志村は令和2年3月に亡くなった。彼が寛いだ「呉竹の間」は、火災前とほぼ同じ場所に再建された。その部屋からは志村の愛した庭の景色を眺めることができる。
笑いで人々を楽しませた志村けんは、名旅館の再建へ向かう女将たちに力強いエールを送り続けていたのだ。
平成23年3月11日、東日本大震災が発生し、津波が沿岸部を襲った。宮城県「南三陸ホテル観洋」も被害を被った。絶望感にさいなまれる被災地を平成26年に当時の天皇・皇后両陛下が訪れた。女将は「この時のお2人の優しさと温かさを決して忘れない」と言う。
ジョン・レノン、オノ・ヨーコが訪ねた京都府亀岡市湯の花温泉「すみや亀峰菴」には、ジョン・レノン直筆のサインが残っている。松田優作はジョン・レノンが泊まった宿に泊まりたくてぶらりとやって来たという。
佐賀県古湯温泉「鶴霊泉」に「男はつらいよ」の撮影で訪れた渥美清は体調がすぐれなかったにもかかわらず地元の人たちと交流し、帰る時には「寅は、けぇります」と車寅次郎になり切って別れの挨拶をしたという。
名旅館の刻んだ歴史とは、単なる時間ではなく、そこを愛した多くの人たちの人生の営みなのである。
《「宿帳が語る昭和一〇〇年 温泉で素顔を見せたあの人」山崎まゆみ・著/1980円(潮出版社)》
江上剛(えがみ・ごう)54年、兵庫県生まれ。早稲田大学卒。旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)を経て02年に「非情銀行」でデビュー。10年、日本振興銀行の経営破綻に際して代表執行役社長として混乱の収拾にあたる。「翼、ふたたび」など著書多数。