現代の「読書」は娯楽として楽しむことよりも、情報としていかに処理するかが求められている風潮があるが、それはなぜなのだろうか。
書籍『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』より一部を抜粋・再構成し、教養とは、あるいは知識とは何かを解説する。
SNSと読書量
2010年代、SNSが人々の生活に本格的に普及した。
そもそも2010年にはスマートフォンの世帯保有率が9.7%だったのに対し、2015年には72.0%まで上昇し、2020年(令和2年)には86.8%にまで至っている(総務省「通信利用動向調査」より)。2010年代の情報環境において最も大きな変化はスマートフォンの普及だろう。
そのなかで人々のSNS利用も増大した。ICT総研による「SNS利用動向に関する調査」(2020年)によれば、ネットユーザー全体に占めるSNS利用率は2015年で65.3%だったが、2020年には80.3%に達している。他者とのコミュニケーションのためにSNSを利用する人が増大した。
SNSの普及は、読書量に影響をもたらしたのだろうか?
上田修一「大人は何を読んでいるのか―成人の読書の範囲と内容」の調査によれば、近年数年間の読書の量について、「減った」と答えた人(35.5%)のうち、SNSの影響を挙げた人(6.2%)よりも、「仕事や家庭が忙しくなったから」と答えた人(49.0%)のほうがずっと多い。
読書量が減ったと感じている人のうち、半数が「仕事や家庭が忙しい」ことを原因と感じている─。これはまさに「働いていると本が読めない」という現象そのものである。
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本を早送りで読む人たち?
2020年代初頭現在、「読書法」というジャンルの書籍において「読書を娯楽として楽しむことよりも、情報処理スキルを上げることが求められている」という現実がある。
そう、もはや数少なくなってしまった読書する人々のなかでも、読書を「娯楽」ではなく処理すべき「情報」として捉えている人の存在感が増してきているのだ。
たしかに私が書店に行っても、速読本はいつでも人気で、「東大」や「ハーバード大学」を冠した読書術本が棚に並び、ビジネスに「使える」読書術が注目されている。「速読法」や「仕事に役立つ読書法」をはじめとして、速く効率の良い情報処理技術が読書術として求められている。
読書ではなく映画鑑賞について、「情報」として楽しむ人が増えていると指摘したのは稲田豊史『映画を早送りで観る人たち―ファスト映画・ネタバレ─コンテンツ消費の現在形』だった。
稲田は現代人の映画鑑賞について、以下のような区分が存在すると述べる。
芸術─鑑賞物─鑑賞モード
娯楽─消費物─情報収集モード
このような区分が人々のなかに存在しており、だからこそ「観る」と「知る」は違う体験である、早送りで映画を見る人たちの目的は「観る」ことではなく「知る」ことなのだと稲田は説く。
稲田の思想に沿わせるとするならば、読書もまた同様に以下のような区分が可能になる。
①読書─ノイズ込みの知を得る
②情報─ノイズ抜きの知を得る
(※ノイズ=歴史や他作品の文脈・想定していない展開)
小説などのフィクションを「知」とまとめるのは抵抗がある人もいるかもしれない。しかし本稿では、メディアに掲載されている内容すべてを「知」と呼ぶことにする。というのも本稿は、「勉強・学問」と「娯楽としての本・漫画」を区別していないからだ。
だとすれば近年増えている「速読法」や「仕事に役立つ読書法」が示す「読書」とは、やはり後者の②「情報」をいかに得るか、という点に集約される。情報を得るには、速く、役立つほうがいいからだ。そして労働にとって、②「情報」は必要である。しかし労働にとって、①「読書」は必要がない。
市場という波を乗りこなすのに、ノイズは邪魔になる。アンコントローラブルなノイズなんて、働いている人にとっては、邪魔でしかない。……だとすれば、読書は今後ノイズとされていくしかないのだろうか?