3年前の東京五輪では、決勝までほとんどノーマークだったにもかかわらず9秒80で100メートルを優勝、400メートルリレーでもイタリアに金メダルをもたらし、一躍世界的な名声を手に入れたマルセル・ジャコブス。連覇を賭けて臨んだ今大会は100メートルで5位、第2走者として走ったリレーでもイタリアは4位に留まり、残念ながらメダルを逃した。
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走り幅跳びのジャンパーとして頭角を現しながら大舞台で結果を残せず、100メートルに転向したのが2019年。その2年後の東京で誰の予想をも上回る大金星を挙げたものの、それからの3年間は苦難の連続だった。
22年の世界選手権では予選で肉離れ、翌23年春には座骨神経炎で一時は歩行すら困難になるなど、コンディション不良が続き、東京五輪から23年の世界陸上(ブダペスト)までの2年間で100メートルを9レースしか走ることができなかった。しかもその世界陸上では準決勝敗退という結果に終わり、世界ランキングでは62位にまで沈んだ。
この不振を受けて、パリ五輪まであと半年あまりとなった23年10月、長年指導を受けたコーチの下を離れ、アメリカ(フロリダ州ジャクソンヴィル)に拠点を移すことを決意。日本のサニブラウン・アブデル・ハキームも師事するラナ・ライダーの下で、本番に向けたトレーニングを行ってきた。
こうして万難を排して臨んだ今シーズンは、6月初めにローマで行なわれた欧州選手権で100メートル、400メートルリレーの双方で優勝。パリ五輪でも予選こそ10秒05だったが、準決勝で9秒92とタイムを縮め、9レーンを走った決勝では東京五輪以来の自己ベストとなる9秒85で5位と、メダルには手が届かなかったものの現時点で発揮し得る最大のパフォーマンスを見せた。
「あらゆるものを変えて臨んだだけに、メダルを信じていたけれど残念ながら手が届かなかった。しかしこの1年半の困難を考えればオリンピックで5位という成績には満足している。もちろん十分に満足しているわけではないけれど、9秒85はドブに捨てるようなタイムではないし、今のベストは出し切った。メダルを祝えなかったのは残念だけど、マルセロ・ジャコブスのキャリアがここで終わったわけではない。これからまた長い4年間に立ち向かい、向上していきたい」
8月4日の100メートル決勝を終えた直後にこう語ったジャコブスは、9日には400メートルリレー決勝に出場。第2走者として2番目に速い8秒96でバックストレートを走り切り、続くロレンツォ・パッタも一番内側の2レーンという悪条件にもかかわらず第3走者として最速の9秒12でアンカーのフィリッポ・トルトゥにつないだ。この時点でイタリアは日本、カナダに続く3位。しかし、イタリア人として初めて10秒切りを達成したエースは第4走者中7番目の9秒20に終わり、日本の上山紘輝を抜いたもののカナダ、南アフリカ、イギリスにかわされて4位に終わった。
レース後ジャコブスはこう振り返っている。
「全員がベストを尽くしたけれど、あと一歩メダルに届かなかった。残念だ。4位は最下位よりも痛みが大きいけれど、これがスポーツだ。勝つ時もあれば負ける時もある。我々は心身すべてをこのレースに捧げたよ」
文●片野道郎
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