『紅の豚』には、ジーナとフィオというふたりの女性が登場します。彼女たちは単なるWヒロインではなく、まったく異なる役割を与えられたキャラクターなのではないでしょうか。
ほほ笑むジーナが描かれた『紅の豚』場面カット (C)1992 Studio Ghibli・NN
【画像】あれ、豚じゃない? こちらがポルコの人間姿です(4枚)
母親としての存在としてのジーナ、夢のような存在としてのフィオ
『紅の豚』(1992年)は、宮崎駿監督が総合模型情報誌「月刊モデルグラフィックス」に連載していた『宮崎駿の雑想ノート』が原型になっています。当初はミリタリー趣味が爆発したイラストエッセイで、次第にマンガ形式へと変化し、第12話に掲載された『飛行艇時代』が映画の原作となりました。
『紅の豚』には「ジーナ」と「フィオ」というふたりの女性が登場しますが、実は原作に描かれているのはフィオのみです。「物語序盤にヒロインがいないと面白くない」という理由から、ジーナというキャラクターが新しく追加されることになりました(※『金曜ロードショーとジブリ展』公式図録より)。
ポルコの昔なじみで、密かに彼のことを愛し続けてきた歌姫ジーナは、実質的なヒロインといえるかもしれません。しかし物語を牽引するのは、若き飛行機設計技師フィオのほうでした。ジーナもフィオも、それぞれ異なる役割を与えられた、必要不可欠なキャラクターなのです。
多くの識者が指摘している通り、「ポルコ・ロッソ」とは宮崎監督自身のことでしょう。中年親父となった自分を擬似化し、社会主義的イデオロギーを「紅」に込めているくらいですから。彼自身、インタビューでこう答えています。
「僕は社会主義とかそういうことについては、すいぶん前から自分で払拭してたつもりだったんですよ。だけど、やっぱりユーゴの紛争が大きかったんです。これはしんどかった。(中略)それがこの映画作ってる最中に重なってきたから『オレは最後の赤になるぞ』って感じで、一匹だけ飛んでる豚になっちゃった」(『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』より抜粋)
ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を掌握し、ファシズムの足音がはっきりと聞こえてきた時代に第一次世界大戦と第二次世界大戦の狭間で、ポルコ・ロッソは空賊マンマユート団と戦争ごっこに興じます。戦争ではなく、あくまで戦争ごっこです。彼は世界情勢から背を向けて、中年のモラトリアムを生きているのです。彼や空賊たちを見守るジーナは、まるで子供をあやす母親のようなモラトリアムの庇護者といえるでしょう。
堂々とした態度のフィオが描かれた『紅の豚』場面カット (C)1992 Studio Ghibli・NN
一方のフィオは、ストーリーを駆動させる役割を担いつつ、モラトリアムの美しい夢として存在しています。「ドナルド・カーチス」との一騎打ちを実現させる、大きな動機付けとなる女性(=ストーリーを駆動させる役割)であり、飛行機乗りとしての自分をリスペクトしてくれる、有能で若くて美しい女性(=夢としての存在)でした。フィオがいることで、物語はダイナミックに躍動するのです。
このふたりの女性の原型は、『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)に見出すことができます。「時には味方、時には敵、恋人だったこともあったかな」と語る「峰不二子」は、「ルパン」を泥棒家業というモラトリアムに居続けさせてくれる、母親のような存在です。そして「クラリス」は、カリオストロ公国でルパンが大冒険を繰り広げるきっかけを与え、彼にとっての希望の星となります。
少なくとも筆者の目には、『紅の豚』は「宮崎監督があからさまに願望を具現化した映画」に見えます。ある意味で最も正直に自分自身をさらけだした作品、といえるかもしれません。