〈終戦79年〉出撃前の特攻隊、原爆のきのこ雲、火炎放射器で焼かれる沖縄…AI技術と対話をもとにカラー化した写真が繋ぐ“過去と現在”

戦艦「大和」

1941年10月20日。開戦の50日前。豊後水道・宿毛湾沖合付近を公試航行中の戦艦「大和」。

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日系人強制収容

1942年4月25日。日系人強制収容のために、サンフランシスコの市民統制センターに行列する人々。

真珠湾攻撃

1941年12月7日(現地時間)。真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まった。写真は爆発炎上する駆逐艦「ショー」。

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硫黄島の戦い

1945年2月21日。硫黄島・摺鉢山北側の日本軍陣地に向けて、37mm砲で攻撃するアメリカ兵。

東京大空襲

1945年3月10日。東京大空襲。B-29約300機が来襲、約1700トンの焼夷弾を投下。死者8万人以上、罹災者100万人以上。写真は空襲後の空撮写真。

呉軍港への空襲

1945年3月19日。呉軍港空襲。アメリカ軍の艦載機約350機が来襲。空母「龍鳳」が炎上、その他の艦も小破などの損害を受けた。写真は灰ヶ峰上空方面から江田島方面を撮影したもの。

アメリカの空母「フランクリン」

1945年3月19日7時8分ごろ、日本近海にて日本軍機の緩降下爆撃を受け、右舷に大きく傾斜する空母「フランクリン」。

特攻機の見送り

1945年4月12日。知覧飛行場にて。特攻に向かう穴澤利夫少尉の「隼」を見送る知覧高等女学校の生徒たち。

激戦地となった沖縄

1945年5月11日。沖縄戦にて、火炎放射戦車で日本軍を攻撃するアメリカ兵たち。

出撃前の特攻隊

1945年5月26日。子犬を抱く特攻隊員。中央が荒木幸雄伍長。鹿児島の万世飛行場にて、出撃予定時刻の2時間前に撮影。悪天候のため翌日出撃、戦死した。

広島へ、原子爆弾投下

1945年8月6日8時15分。広島市への原子爆弾投下。当時の推定人口35万人のうち9万〜16万6千人が、被爆から2〜4ヶ月以内に死亡したとされる。写真は呉市の吉浦町(現・若葉町)にあった海軍工廠砲煩実験部にて、尾木正己さんが撮影したきのこ雲。

降伏へ、日本の使節団

1945年8月19日。沖縄・伊江島を経由し、正式降伏文書受理のため、マニラに向かう日本の使節団。

痩せ細った日本兵

1945年9月15日。終戦直後にマーシャル諸島で撮影された日本兵たち。おそらくウォッゼ島かマロエラップ環礁タロア島で撮影されたもの。

戦後、国内の様子

取材・文・構成/集英社オンライン編集部ニュース班
写真/『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』より出典

『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』

庭田杏珠 (著), 渡邉英徳 (著)

2020年7月15日発売1,650円(税込)472ページISBN:978-4334044817『この世界の片隅に』片渕須直監督 推薦!
戦前から戦後の貴重な白黒写真約350枚を最新のAI技術と、当事者への取材や資料をもとに人の手で彩色。カラー化により当時の暮らしがふたたび息づく――。