準々決勝でイタリアに惜敗し、男子バレー日本代表のパリ五輪は閉幕した。勝利を決める1点を取る難しさを思い知らされるとともに、最後の最後まであきらめずに戦う姿に心を打たれた人も多くいる中、かつての恩師は教え子たちの姿をどう見ていたのか。中央大で関田誠大と石川祐希、富田将馬を、東山高では髙橋藍を指導した松永理生氏(現・東山高監督)に関田、石川、高橋藍のパリ五輪での戦いぶりを語ってもらった。
感じれなかった「楽しさ」
――パリ五輪、男子日本代表は準々決勝でイタリアに惜敗し、目標に掲げたメダル獲得には届きませんでしたが、松永さんはどのようにご覧になりましたか?
松永理生(以下同) 全体を通して硬かったですね。『硬かった』という表現があっているかどうかは別として、ここ最近、たとえばネーションズリーグで見せてきたいい時の日本代表の柔らかさがちょっと少なかったような印象を受けました。
でも、『これがオリンピックの戦い方なんだな』と。日本が敗れたイタリア、ドイツはまさにそう。最後まで折れず、最後の最後でひっくり返して勝利をつかむ。日本のよさを封じられて、“硬くさせられてしまった”というほうがしっくりくるかもしれません」
――日本代表が少なかった「柔らかさ」とは?
たとえば、準々決勝のイタリア戦。僕は同じ時間に中学生を対象としたアカデミーで指導をしていたので、リアルタイムで見られたのは3セット目からでした。
後で1、2セットも見返したのですが、3セット目の途中から見始めた時に、日本の闘志も感じたし『攻めるぞ』という表情も見えたのですが、同時に『ずいぶん切羽詰まった顔をしているな』という印象も受けました。
レシーブからチャンスを作って点を取る日本のバレーができていたけれど、すごく考えながら動いているようにも見えて、今まで見せてきた“楽しさ”はあまり感じられなかった。
その日本に対して、イタリアは追い詰められたところで勝負強さというものを逸脱した意地を見せてきた。
日本がダメだったのではなく、多くの経験を積んできたイタリアというチームの意地、勝利への執着が感じられたのが3セット目以降で、押された日本に硬さが目立ち始めた。『オリンピックは他の国際大会とは違う』という言い方をよく聞きますが、まさに『魔物がいるんだな』と感じましたね。
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イタリア戦の勝負の分かれ目
――3セット目、24-21で日本がマッチポイント。ここからの1点が遠かったですね。
流れも悪くなかったし、1セット目の日本はまさに“押せ押せ”でした。3セット目も日本がリードしていた。なぜああなったのか、後から映像をよく見返した時に僕が感じた分かれ目は、イタリアに23点目が入った場面です。
サイドアウトを切られて24-22。ここはもう1本踏ん張ろうというところで、イタリアはシモーネ・ジャネッリ選手のサーブ。彼がいいサーブを打つ選手で勝負強いことも知っていたので、『嫌だな』と思いました。
実際に、ジャネッリ選手はいいサーブを打ち、リベロの山本智大選手がほぼ正面でレシーブしたのですが、ボールの勢いに押し込まれて返球が少し乱れた。関田がなんとかレフトまで持っていって石川が打ったのですが、サイドラインを割ってアウトになって24-23になりました。
立場は違いますが、僕だったら、あの場面で絶対にタイムアウトを取りました。でも日本は2回目のタイムアウトではなく(イタリアのブロックにワンタッチがあったかどうかの)チャレンジを選択した。もしかしたら、そこで最後の1点を取れたかもしれないですし、結果的にチャレンジは失敗しても作戦タイム代わりに時間を使うこともできた。
でもあの場面でタイムを取っていたら、次の1本をどこで決めるか、もっと明確にできたと思うんです。
――たとえば?
僕ならばまず、『サービスエースだけ警戒しよう』『サーブはとにかく上に(レシーブで)上げて、あとはエースに託そう』と言います。その言葉で関田の迷いも消えるし、石川は『自分に持ってきてほしい』と言ったかもしれない。
あの場面は大きな勝負所でしたし、僕には石川が大学4年生の時、全日本インカレの準決勝で『石川に持っていけ』と言わなかった後悔が今も残っています。同じ間違いを繰り返さないように、勝負所だからこそ選択肢を狭める声かけをしただろうな、と思ったので、タイムが残っていたのにあの場面で取らなかったことが不思議でした。
結果的に、次のジャネッリ選手のサーブがエースになり24-24、そこでタイムアウトを取ったけれど押し返すことができなかった。『あの場面が大きかったな』というのが僕の感想です。
あくまで外から見ているだけなので、なぜその選択をしたのか、実際のタイムアウトでどんな話をしていたかはわからないですから、あとで選手たちに聞いてみたいですね。