『香水』の瑛人「普通に生きる今がいい」。小規模ライブで全国を回る現在地

2019年リリースのヒット曲、『香水』。実は同曲はシンガーソングライターの瑛人さんが音楽学校で制作し、初めてレコーディングした楽曲なのだそうです。

初の楽曲がSNSで話題になり、主要音楽配信チャートで1位を獲得、ミュージックステーションやNHK紅白歌合戦をはじめとする多数のメディア出演など、サクセスストーリーを体現した瑛人さん。ここ数年メディアで見かけることが少なくなりましたが、現在はどのような活動をしているのでしょうか。

『香水』のヒット当時のこと、現在の活動や音楽との向き合い方について、瑛人さんに直接お話を聞きました。


瑛人さんの最近のライブ活動の様子

学生証が欲しくて、音楽学校へ

──瑛人さんはシンガーソングライターとして活動されていますが、幼少期から歌手を目指していたのですか?

小さいころは、自動車整備士、ボクサー、建築士とか、コロコロと将来の夢が変わっていました。「歌手もいいかな」と思ったこともあったけど、歌うとすぐに声が枯れてしまうから無理だなと。家族でカラオケの点数を競っても、いつも負けていましたね。


少年野球チームでピッチャーをしていた瑛人さん

ものづくりやクリエイティブなことにも特に興味があったわけじゃなくて。中学では公式戦で一度も勝ったことがないような、弱小野球部。高校では“なんちゃって”ダンス部でした。文化祭を見学したら体育館でダンス部のギャルが踊っていて「高校はこの部で決まりだ」と。いざ入部したら、校則が変わったせいで、ぼくの好きだったルーズソックスのギャルはいなくなってしまったんですけど(笑)。

──ダンス部に入ったのはギャルとお近づきになりたいという理由だったのですね(笑)。高校卒業後は進学しなかったそうですね。

周囲は進学する人ばかりで、フリーターになったのはぼくとあともう1人。それが今はプロダンサーや振付師として活動しているパワーパフボーイズのKANなんですけど。

自分が進学しなかったのは、どうせ辞めそうだと思っていたから。お金がもったいないなと。学費として数百万円使うのであれば、自分のやりたいことを見つけて、それにお金を使えば良いかなと思っていました。ワーキングホリデーなんていいなと思ったり。そんなことを考えていました。

──それで「やりたいこと」として、シンガーソングライターという目標を見つけたのですね。

うーん、どうだろう。よく仲間とラウンドワンとかカラオケに行っていたんですけど、そこで自分だけ学生証がないから割引きがなくて。

そのことをバイト先の横にあるスケートショップではたらいている友だちに話したら「週2回くらい通えば学生証を貰える場所があるよ」と言われて。それが音楽学校だったんです。週2だからはたらけるし、学費もそこまで高くない。学生証ももらえる。「いいじゃん」って。

──では、入学当初はプロのシンガーソングライターになろうとは思っていなかった?

全然。だから音楽に向き合う熱量も周囲とは違いました。音楽経験者ばかりだったし、売れたいとか、高い目標を持っている人が多かったですね。同級生はボイストレーニング、ギター、作曲とかたくさんのコースを受講していたけれど、ぼくはシンガーソングライターのコースだけ。

絵空事で「ジャスティン・ビーバーがリツイートしてくれたら」なんて思うことはあっても、「売れたい」「売れる」とかそこまで考えていなかったし、考えられるレベルでもなかったです。とにかく自分の歌を作ってみたいと思っていただけで。だから2年制のコースだったけれど、1年で学校を辞めてしまっています。

(広告の後にも続きます)

『香水』誕生のきっかけは、バイト先のオーナーの香水

──でも、その音楽学校時代に『香水』が生まれたのですよね。

そうですね。当時、ぼくはちょうど彼女と別れて『香水』の歌詞みたいな時期だったんです。バイト先のハンバーガー屋のオーナーと毎週末遊んでいたのですが、そのオーナーがドルチェ&ガッバーナの香水を使っていて、それを「ちょっと持っていて」と言われて、預かったままだったんですよね。

香水を預かった日の翌日、友だちと遊びでセッションをして、そのときもそのまま香水を持っていたんです。ギターの音に合わせて適当に歌っていたときに、「別に君を求めてないけど〜」「君のドルチェ&ガッバーナの〜」というフレーズが降りてきました。


瑛人さんと『香水』誕生のきっかけになったハンバーガー店のオーナー

──名曲が誕生した、という感覚はあったんですか?

そんなことはまったく思わなくて、「わっ、『サザエさん』の曲っぽくない?」みたいな。それを学校の授業で当時ぼくの先生だったアーティストのルンヒャンさんにも手伝ってもらいながら、曲として仕上げていきました。

──その曲が後にSNSでバズりにバズった。

TuneCore(チューンコア)というアプリで個人配信したんです。普通に自分のInstagramで「12時にリリースします」みたいに告知して。

MVは友達のダンサーのAKARIちゃんに出演してもらって、それでもYouTubeで3,000回から4,000回再生されれば良いかなぐらいに思っていました。

ただ、TikTokでバズる前でもYouTubeで7万回ぐらいは再生されていたんですよね。当時、横浜で飲んでいたときに、『香水』を口ずさんでいる人がいて、「イェーイ」みたいに超アガりましたね。「その曲作ったの俺だよ、俺」みたいな。思い返すと、その瞬間が一番うれしかったかな。

──そこから何がきっかけでバズったのですか?

まったくわからないです。コロナ禍に入って、バイトをしていたハンバーガー屋が営業自粛したため暇になり、毎日KANと一緒に飲んでいたんです。二日酔いで家電量販店のマッサージチェアに座ってくつろいでいたら、急に携帯の通知が止まらなくなった。

TikTokでみんなが『香水』を歌うようになって、MVも100万回再生までいって。カメラマンの先輩に100万回再生の記念に撮影してもらおうとしたら、その間に300万回、400万回ってなっていて。そうしているうちにLINE MUSICにチャートインして、CDTVでも曲が流されて──、そこらへんから「あれ?」っと。