遊牧⺠のオリンピックこと“ワールド・ノマド・ゲームズ”。オリンピックやパラリンピックとはどう違い、どのような競技が行われるのだろうか。星野博美著『⾺の惑星』(集英社)から⼀部抜粋・編集してお届けする。
遊牧⺠のオリンピック、開幕!
遊牧民のオリンピックこと“ワールド・ノマド・ゲームズ”が4回⽬にして、しかも2年の延期を経て、いよいよトルコ・イズニクで開催される。それが突然決まったのは、開会が4か月後に迫った2022年5月のことだった。
トルコ好き、⾺好き、遊牧⺠好き、単なる好奇⼼……様々な関⼼対象のグラデーションがある5⼈が集まり、ノマド・ゲームズ観戦チームを結成した。
しかし、突然開催が決まったからだろうか、トルコへのフライトを確保し、旅程がフィックスされたあとでも、ノマド・ゲームズの公式サイトに動きはなかった。どれだけの数の、どんな競技が行われるのか、まったくわからない。
しかもサイトはトルコ語のみ。この時点で判明しているのは、競技を観戦するチケットは不要だという、太っ腹な姿勢のみだった。
そのため、事前に競技について予習したり、大会期間中のスケジュール組み――何時にどの会場で競技Aを見て、次は違う会場で競技Bを見る、といったこと――は不可能。物理的準備ができないため、心の準備もなかなか難しかった。このゆるさというか、いい加減さに、「大丈夫なのだろうか……?」という不安は募るばかり。
そもそも、開催まで四か月というタイミングで突然決定した大会である。会場の設営や環境整備といったハード面にてんてこ舞いで、情報発信や広報活動といったソフト面にまで手が回らないのだろう、と想像できた。
ノマド・ゲームズ開幕当⽇、2022年9⽉29⽇、⽊曜⽇。
会場内でうろうろしていたら、選⼿村のプレハブから、独⾃の⺠族⾐装を⾝にまとった、アーチェリーの選⼿がゆったりとした⾜取りで歩いてきた。
そのグループは東南アジア系の顔⽴ちで、頭を包む布はインドネシアのバティックのように⾒え、⿊や臙脂を基調としたかすり模様の⼊った上着を⾝にまとい、⾰のブーツを履いていた。
そっと⽬を閉じ、彼らの先祖が密林の中で⾺にまたがり、狩りをする様⼦を思い浮かべた。かっこいい……。⺠族⾐装はなんとかっこいいのだ。
次に出くわした一団は、キルギスのアーチェリーの選手たちだった。彼らは、唯一、朝早くから開いていた毛皮屋の店頭で帽子を物色中だった。動物の毛皮でできた帽子をとっかえひっかえ試し、鏡で真剣に見栄えを確認するのは、背の高い四〇代くらいの男性選手。
弓射は技術と経験がものをいうため、選手の年齢はあまり関係ない。その真剣な眼差しから察するに、どうやら、割とカジュアルな民族衣装で会場入りしたものの、他国の選手の気合が入った装いを見て焦り、急遽、毛皮の帽子を手に入れ、キルギス色を追加しようとしているらしい。
それにしても、民族衣装はどうしてこうも、かっこいいのだ。体形に合ったデザイン。目的と用途に適した機能美。そして伝統を身にまとうことでおのずと発生する誇り。
この場にいると、ジーンズとTシャツとヨットパーカーという、民族的伝統とはまったく関係のない格好をした自分に対して、恥ずかしいとは言わないまでも、引け目のような感情を抱いてしまうのは事実だった。私にはこんな時、さらりと着られる民族衣装がない。着物を最後に着たのは七五三を祝った六歳の時だ。
それが別に悪いとは思わないが、こういう場に来てみると、寂しさと悔しさを感じるのは必然だった。
ノマド・ゲームズの一つの特徴は、参加者が独自の民族衣装を着ることといえるだろう。
オリンピックやパラリンピック、その他のスポーツの国際大会などで着用されるユニホームは、競技ごとに規格が規定され、国籍や民族性をいったん排し、競技の結果だけを競うことに主眼が置かれている。それらの属性を排除することでスポーツを中立化し、引き起こされがちな民族間の歴史意識やナショナリズムを抑えこむためだ。
国籍を判別するのは、ジャージの胸や背中に書かれた国名や国旗のみ。多国籍化が進んだ現代では、風貌すら、その選手の国籍判別には役立たない。
ノマド・ゲームズは、その逆をいく。
グローバリゼーションの中で、世界各地から消えゆく独自の民族性を保護し、伝えることがこの大会の一つの目的であるから、民族性の発露は大歓迎。それが本当に自身の伝統なのか、それともイメージ上の伝統なのかも問わない。
アーチェリーの会場では、テントの下で各国の⺠族⾐装を⾝に着けた選⼿たちがすでに準備を始めていた。準備をしながら、他国の選⼿と⼀緒にセルフィーを撮ったり、ハグしたり、「そのブーツ、とてもいいね」などと会話を交わしている。その様⼦は、ひと昔前のオスマン帝国領域のどこかのバザールに集う、様々な⺠族の⼈々のようだった。
その中に、⾚いローブをまとって⽩いターバンを巻いた、オスマン帝国のスルタン(皇帝)の扮装をした選⼿がいた。⺠族⾐装なら、スルタンもありなのか! 彼は審判団と各国選⼿の間で連絡要員のように⾛り回り、質問に答えたり張り紙をしたり、奔⾛していた。その場⾯だけを切り取ると、「バザールで草原の⺠のために働くスルタン」という、昔ならありえない光景で、いい場⾯を⾒せてもらった。
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本来は山羊の死体が“ボール”
ノマド・ゲームズは⾺、⼸射、レスリングの3競技で、この3つをベースにした様々な種⽬が⾏われる。ちなみに、これはモンゴルの国民的祝祭である「ナーダム」も同様だ。
モンゴルでは毎年、革命記念日にあたる七月一一日から三日間かけて、国主催のナーダム祭が開催される。ナーダムの柱は、モンゴル相撲、弓射、そして近郊の草原で行われる競馬の三つ。首都ウランバートルで開催される国家ナーダムのほかに、各地で地方ナーダムが行われ、モンゴル中が祝祭気分に沸く、華やかな季節である。特に競馬は、子どもたちによって競われる、ナーダムのハイライトだ。
卓越した指導者だったチンギス・カンは、狩猟の形をとって兵士に軍事教練を行い、隊列の組み方や、敵を一か所に追いこんで取り囲む戦術を叩きこんだといわれる。
ナーダムの三本柱である格闘技としての相撲も競馬も弓射も、すべて戦士が戦う上での必須スキルである。
つまり、ノマド・ゲームズもナーダムも、各種競技の根底にあるのは、遊牧騎馬民族の生存に欠かせない能力の維持なのだ。
この点が、西欧貴族社会的な馬事文化をベースとしたオリンピック・パラリンピックとの最大の違いといえる。
今回の⼤会で⾺を使うのはコクボル(⾺上ラグビー)と⾺上アーチェリーの⼆種⽬のみ。
なかでも、コクボルに注⽬したい。ルールをざっと紹介しておこう。国や状況によっても異なるが、今回のノマド・ゲームズでは以下のようなルールで⾏われた。
⾺場は⻑辺200メートル×短辺70メートルの⻑⽅形。センターラインの端に⽩線でサークルを描き、そこにウラク(⼭⽺の死体)を置く。それを奪い、敵の攻撃をかわしながら⾺で疾⾛し、敵陣のゴールに投げ⼊れるとポイントが⼊る。どちらかのチームがゴールを決めると、ウラクはサークルに戻されリスタート。
1ピリオド20分で、計3ピリオドを戦う。各チーム12⼈⾺が出場するが、ゲーム中にピッチに⼊れるのは各チーム4⼈⾺のみ。試合中は、何度でも⼈⾺を交替することができる。ただし、⼈と⾺はセットであり、⾺を乗り換えることはできない。もしも⾺が⼈を振り落として⾛り去ったら、騎乗する選⼿がその⾺をつかまえない限り、ゲームには戻れない。
通常、コクボルで使うウラクは、頭部と⾜⾸から下を切り落とされた⼭⽺の死体を使うが、今回のノマド・ゲームズでは本物の⼭⽺ではなく、⼭⽺のような形をした⾰製の詰め物、いわば擬似⼭⽺が使われた。ウラクの重さは32-35キロである。
審判団の⽬の前にある⽩線で描かれたサークルに、⾺に乗ったレフリーによってウラクがどさっと置かれた。擬似の⼭⽺であることに、私は内⼼ほっとした。本来、本物の⼭⽺の死体を使うのが伝統であることは⼗分承知しているのだが、実際に⼭⽺の死体がもみくちゃにされるのを⾒るのはなかなかグロテスクなものだ。
まして今回のホスト国であるトルコは、オリンピック開催地に⽴候補して落選した経験や、EU加盟を17年も棚上げされている経験などから、⻄側諸国からの視線を相当意識している。⼭⽺の死体の映像が出回ったら、また何を⾔われるかわからない。この⼤会を機に存在感をおおいにアピールしたいトルコとしては、「避けるべき」という判断を下したのではないか、と推察される。