遊牧⺠のオリンピックこともいえる“ワールド・ノマド・ゲームズ”。注目の競技は馬上ラグビー<コクボル>だ。強豪国キルギスとカザフスタンの対決は、他の国とレベルが違う大激戦に。頂上決戦の様子を、星野博美著『⾺の惑星』(集英社)から⼀部抜粋・編集してお届けする。
国歌斉唱に表れる国民性
ワールド・ノマド・ゲームズ、⼤会4⽇⽬にあたる最終⽇。いつものように朝からコクボル(馬上ラグビー)会場へ繰り出すが、スタンドにはすでにかなりの数の観客がいた。
私たちが陣取った右翼側に続々と観客が押し寄せ、明らかにオーバーキャパシティになり始めた。先ほどまでは空席も散⾒されたのに、⾚地に⻩⾊い太陽が描かれた国旗を持った⼈たちに、あっという間に埋め尽くされた。
いよいよ、コクボルの最終決戦、キルギス対カザフスタンが始まる。
両国の選⼿たちがスタンド前に整列すると、空には急に⿊い雲がたちこめ、強い⾵に乗って⾬が降り始めた。嵐に呼応するかのように、客席のボルテージもいっそう上がり、キルギス応援団は総⽴ちになって巨⼤な国旗を振り回し、「クルグスタン! クルグスタン!」の⼤合唱である。
そして前奏が流され、キルギスの国歌⻫唱が始まった。総⽴ちの観客が⼤きな声を合わせて歌い出すが、ものすごく⾳程が外れ、リズムもバラバラ。選⼿たちも⾺上で整列しながら声を張り上げるものの、観客たちによって⾳程を外されて調⼦を狂わされたのか、ほとんど雄叫びのようになっている。選⼿も観客も統制がとれず、とてもフリーでおおらかな空気が漂っている。
「⾳痴やなあ。むっちゃキルギスっぽいわ。トルコに来て6年になるけど、こんなキルギス⼈をたくさん⾒たのは今回が初めてや。どこにこんなおったん? ってくらい、おるな」とノマド・ゲームズ観戦チームのメンバーでイスタンブール在住の⽚⽥君が笑うと、「ですね、私も初めて⾒ました」とメンバーのひとりで、やはりイスタンブールに長く暮らす⻤頭さんが同意した。
「イスタンブールの観光地では、あまり⾒ませんからね。トルコにいるんじゃないみたい」
そうだったのか。イズニクに来て五⽇間、この光景を⾒慣れてしまったため、トルコじゅうに彼らがいるような錯覚を起こしていた。⼤会が終わってイスタンブールに戻ったら、かなり寂しく感じるのだろう。
トルコ国内で彼らが多く暮らすのは、アンタルヤや地中海沿いのリゾート地だと、旅⾏業界に詳しい観戦メンバーの⽥上さんが教えてくれた。海沿いの温暖なリゾート地にはロシア⼈が多いため、ロシア語の話せる彼らが観光業界で重宝されるのだという。
ここにいると忘れてしまいそうになるが、キルギス、カザフスタン、そしてウズベキスタンなどは、いずれも旧ソ連の一部だった。試合前にコクボルのルールを決める際、審判団の議論(あるいは論争)がヒートアップしてロシア語が⾶びかっていたことを思い出す。
トルコから⿊海を越えれば、そこにはロシアとウクライナがある。トルコにとっては、侵攻する側とされた側の双⽅が隣⼈といえる。さらに2022年9⽉21⽇、プーチン⼤統領が予備役30万⼈を召集対象とする「部分的動員」を発令してからは、トルコのリゾート地に国外脱出したロシア⼈が殺到し、ロシア語話者である中央アジアの⼈たちの需要がますます⾼まっているという。この地域では、好むと好まざるとにかかわらず、ロシアの存在がいまだに⼤きいことを痛感した。
次にカザフスタンの国歌⻫唱が始まった。前奏が聞こえると、選⼿たちはまたがった⾺からすっくと⽴ち上がり、胸に⼿を当て、⼀⽷乱れず歌い出した。キルギスとのあまりの国⺠性の違いがおもしろすぎる。
とても社会主義っぽいメロディーだった。キルギスとウズベキスタンに⽐べると、カザフスタンのありようが⼀番社会主義っぽい。その昔、中国やソ連といった社会主義国家フェチだった私は、この様⼦に⼀⼈⼤喜びし、仲間たちから失笑された。
それはさておき、停⽌させた⾺の上で⽴ち上がり、右⼿を胸に当て、国歌が終わるまでの数分間、⽚⼿⼿綱だけで⾺を不動にさせ続けるのは、ものすごく⾼度な技術であることは付け加えておきたい。⾺は、動かすより、不動にさせるほうがはるかに難しい動物だ。私なら、数秒ともたない。
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肉弾戦をものともしない馬の姿
いよいよ試合が始まった。センターライン端のサークルに置かれたウラクを奪いあうところから壮絶だった。⼀⽅が捕る、そうはさせまいと引っぱりあい、奪い、奪い返す、逃げる、追いつく、また奪う、その繰り返しで、ずっと団⼦状態。
昨⽇までのゲームは⼀体何だったのかという感じだった。これまでに⾏われた予選では、チームごとの実⼒差がありすぎて、ウラクを奪ったら、そのまま敵陣になだれこみ、疾⾛する必要もなく余裕でゴールに到達するシーンをたびたび⾒かけたものだった。
しかしキルギスとカザフスタンという強豪国対決だと、⾺が疾⾛するシーンはほとんど⾒られない。
コクボルに必要なのは駿⾺ではなく、もみあいに果敢につっこんでいく闘争⼼の強い⾺なのだとあらためて思い知らされた。
キルギス応援団はかなりヒートアップし、「⾏け!」「そこだ!」「何やってんだ!」のような野次(多分)をしきりに⾶ばしている。そのありようは、格闘技の観客のようだ。
⼈間の指⽰があるとはいえ、⾺の群れの中につっこみ、⾁弾戦をものともしない⾺の姿を⾒るのは初めてだった。
考えてみたら、⾺は古くから、移動⼿段としてのみならず、戦闘にも使われてきた。⾺にここまで戦闘的⾏為をさせられるのかという驚き。そして⾺のそういう側⾯を⾒たことがない現実が、いかに⾃分が⼈⼯的な環境で⾺と接さざるを得ないかを物語っていた。
やっとのことで敵陣ゴールの⽬前でウラクを運んでも、この2チームはそうたやすくゴールにはつながらない。むしろここからが勝負という感じだ。ゴールを⽬の前にしてもみあいはいっそう激しさを増す。ラグビーのスクラムのように、じりじり、じりじり、移動していき、ゴールさせまいとする⼒が横へ働く。しまいには厩舎コンテナの並ぶ場外へなだれこんでしまう。
これはおもしろい。サッカーのワールドカップなどで、予選では⼤差で勝負がついたりするのに、8強、4強と上がっていくにつれて得点が⼊らなくなるのと似ている。
そしてついにレフリーの笛が鳴り、試合が終了した。何点⼊り、どちらが勝ったのか、全然わからない。
「どっちが勝った︖」「いや、わからない」「どっちだろ」「微妙だね」などと話していると、キルギス陣営に座った若い⼥の⼦が涙をこぼし、彼⽒と思われる男性から必死になだめられているのが⾒えた。⼀瞬、嬉し涙かと思ったが、いやいや、悔し涙のようだ。
⼤本命のキルギスが負けたのか︕ だからといって、泣くのか……。それほどコクボル
には両国のプライドがかかっているのか。驚くことばかりだ。