家族会議で子ども自身にも決断をしてもらう
――移住先をニュージランドに決めてからはどうされましたか?
2023年9月に国を決めて12月には視察に行きました。行く前には家族会議をして「この移住は君たちのためになるから」と両親が言うから行くというのではなく、実際にニュージランドに行ってみてどうするか、子どもたちの意思で決める最終決定のための視察旅行だと伝えました。
教育移住には北島がいいと勧められ、都会のオークランド、第2の都市ハミルトン、海沿いのタウランガを候補にしていたのですが、今いる磐梯町と比較してオークランドは都会過ぎるように思え、残りの2つのどちらかだということで1週間視察に出かけました。それぞれの町のパブリックの現地校で1日体験もした上で、彼らが選んだのが、いま住んでいるタウランガだったんです。
タウランガは、美しいビーチが人気のリゾート地でもある
――タウランガに行き先を決めてからはどうやって移住を進めていかれたんですか?
まずは、親に移住決定を伝え、磐梯町にも任期満了とともに退任を伝えて最終決定。しかし、移住にあたりなにが大変かというとビザです。まず息子たちは留学ビザで入国するとして、子どもたちのビザに付いてこれる保護者ビザがでるのは親1人までなんです。夫は自分自身の学生ビザで来ています。
なので、当面は私のリモートワークで一家を支えないといけませんが、移住するなら55歳までには永住権を得たいと思っているので、それまでは自分たちへの投資だとも考えています。永住権があれば、学費は公費で無料になり、仕事もでき、家も取得できます。それまでの生活のために、シートに資産や運用状況はじめキャッシュフローなどをすべて書き出して、夫と2人で我が家の事業計画を何パターンも立てました。そして、ビザが下りたのが2024年の4月。就学にギリギリ間に合いました。家を借りること1つとっても、現地の保証人を確保するために学校の先生に頼み込むなど、本当に大変でした。
――いろいろと想像を超える大変さですね。3カ月ほど住まわれていかがですか?
1カ月はまさにいろいろなことをこなすのにアドレナリンだけで乗り切った感じです。子どもたちも入国から2週間後ほどで学校に通い始め、2カ月目あたりで「学校は楽しいけど先生が何を言っているかわからないのが悔しい」という経験も乗り越え、今は楽しそうに過ごしてます。家でそれぞれが外で聞いた英語を話したりしていて、人は真似をすることから学ぶのだとつくづく思いますね。
ニュージーランドは、人それぞれに違いがあるのが当たり前というのが本当に根づいている国だと思います。ダイバーシティを誰もが認めている空気感の中で、のびのびと成長しているのを見ると本当に良かったと実感します。例えば、長男は小柄なので、日本だと整列した場合にいちばん前に固定されてしまいます。ですが、こちらにはそういったルールはありません。
――今後の目標や海外移住をするためにいちばん重要だったことを教えてください。
目標は、永住権の取得ですね。そのためには、夫の学歴だけでなく、語学力を示すスコアや就労も必要なので、彼は必死で勉強しています。まず5年間は頑張ろう決めていますが、ハードルはかなり高いので、我が家の事業計画として5通りのプランを作っています。移住の本来の目的に立ち返れば、海外ありきではなく、子どもが自立、そして自律できる力を身につけられる教育環境を整えるということを重視しています。サードステージのためのプランは途中で見直しや書き直しもありだと、夫婦で常に話し合っています。
子ども3人と夫の学費や住居費、物価の高いニュージーランドでの生活費は本当に大変です。今は、日本との仕事を4つ掛け持ちしてやりくりしています。ですが、家族に合った生活をするために30歳から定期的にライフコンサルタントの方についてもらって90歳までのライフプランを練っていたからこそ決断できたと思います。
移住してみて、私たちも子どもたちも毎日充実していてとてもよかったです。自分の夢としては、教育に関する勉強をしてみたいと思っています。ニュージーランドの教育の日本との違いや良い点を大学院で学ぶなどして、いつかこの経験を日本に還元できればいいなと思っています。
渡部久美子(わたなべくみこ)●ソフトバンク株式会社(旧:ソフトバンクBB株式会社)入社。業務改善PJ・BPR促進PJマネージャーなどの様々なプロジェクトマネージャーに従事し、女性では異例のスピード出世をする。第2子の育児休暇後、ステージアップを志し退社。個人事業主を経て、株式会社YUKARIの代表取締役に就任。2021年福島県磐梯町地域プロジェクトマネージャーに就任し、就任を機に、磐梯町へ家族移住。行政での仕事とあわせて個人事業主を複業し、愛媛県チーム愛媛DX推進支援センター長、真庭市共生dX推進支援業務の技術責任者等を担当。複数の仕事や事業を受け持つ複業人材として活躍する。2024年、「より良い教育環境」を求め、ニュージーランドへ家族移住。モットーは、「登れない山はない」。