1973年に結成し、1974年8月25日シングル『夏しぐれ』でデビューした国民的ロックバンド「THE ALFEE」。デビュー50周年を迎えた本年は、新シングルやトリビュート・アルバム、記念ライブなど、メモリアルイヤーに相応しい作品やイベントが数多く用意されている。メンバーの高見沢俊彦、坂崎幸之助、桜井賢の3人に、50年目を活動するうえでの意気込みや、“2代目THE ALFEE”を襲名するための条件を聞いてみた。
ライブ直前に「血圧」を確認⁉︎
THE ALFEEにとって「ライブは当たり前の日常」
–––今年8月17日〜18日には、Kアリーナ横浜(神奈川県横浜市)でライブ「Wind of Time 50年目の夏祭り」が開催されます。歴史や年齢を重ねるとともに、ライブの面で何か変化は起きましたでしょうか?
高見沢俊彦(以下、高見沢) サウンドはもちろんですが、楽屋での会話とかは、随分と変わってきましたよ。僕らは男性グループなんで、若いころはやっぱり女の子とかクルマの話をしていたんですよ。でも、最近は数値とか、もっぱら健康について(笑)。
坂崎幸之助(以下、坂崎) この前の春ツアーのときなんて、出番20秒前くらいに高見沢が「坂崎ってさ、血圧どのくらい?」とか聞いてくるんですよ。SEも流れていて、すぐステージに出ないといけないのに。
それで「普段◯◯くらいで、高いときで◯◯くらいかな」って返したら、「そうか。ちなみに、桜井はγ-GTPはいくつ?」とか言っているんですよ。
–––(一同笑)
坂崎 それで「へぇ、そうか〜」って言って、そのままステージに出ていって(笑)。
桜井賢(以下、桜井) これからライブするのに、なんで俺のγ-GTPの数値が知りたいんだよ、っていうね(笑)。
坂崎 サウンド面の話をすると、たとえば1980年代のライブ映像や音源と、今のものを聴き比べてみると、少し違うなと僕も思うんですよ。でも変化というのは、やっぱりちょっとずつじゃないですか。だから自分たちとしては、あまり変わっていない気もしますね。
体力だって、もちろんあのころと比べると落ちているとは思いますが、ライブパフォーマンスをしているときは、あまり衰えを感じないですね。
–––では現在の皆さんにとって、「ライブ」とはどういった存在になっているのでしょうか?
高見沢 何も特別な事ではなく、僕らにとっては3人でステージに立つ事が「当たり前の日常」ですね。先ほども触れましたが、ライブがなくなるとかえって体調に影響がでるので、むしろ健康の秘訣でもあります。そういう意味でもライブ活動こそ、長続きできた理由なんじゃないかな。
坂崎 会場に来てくれる人にとっては非日常ですが、僕らにとっては日常な気がしますね。
桜井 ライブがなかったら、僕は仕事がないですよ。
坂崎 そんなことはないだろう(笑)。
桜井 いやいや、ライブの達成感が、お酒をより美味しくするんですよ。
高見沢 まさか、酒を美味しく飲むためにライブやってんのか?
桜井 そういうことです。
高見沢・坂崎 「そういうことです」って(笑)。
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“2代目THE ALFEE“を襲名する条件とは?
–––2024年8月14日(水)には、50周年記念トリビュート・アルバム「五十年祭」が発売になりました。参加されたアーティストの楽曲を聞いて、いかがでしたでしょうか?
高見沢 どのアーティストさんも本当に素晴らしかったですし、とにかく新鮮でしたね。「こういう解釈もあるのか!」と目からウロコでした。
–––リリース発表の段階で、氣志團・綾小路翔さんから「THE ALFEEが本気で後継者を探し始めた事を確信しました」というコメントが寄せられていました。実際に後継者探しなど、そういったことを考えたことは……?
高見沢 本当におもしろいこと言いますよね。後継者については、考えたことがなかったなぁ…。でも氣志團も歴の長いバンドですから、そういう意味では、僕らに近い存在なのかもしれないですよね。ただ、後継者探しはしたことがないですよ(笑)。
–––“2代目THE ALFEE”には、どういった要素が求められますか?
坂崎 “2代目THE ALFEE”か……難しいなぁ(笑)。まずは、このキャラクターが必要ですよね。それに、「3人とも歌える」っていうのもある。
高見沢 しかも「演奏しながら歌える」というのが重要ですね。
坂崎 あとは「お笑いに精通している」。ここは最大のポイント(笑)。それに「全員が次男坊」だね。
高見沢 あと「そこそこのボンボン」ね。
–––(一同笑)
高見沢 大金持ちという事ではないですよ。「そこそこ齧り甲斐のあるスネを持った親がいた」っていう(笑)。