50年間、一度も活動を止めなかった理由
–––お話いただいたように、これまでTHE ALFEEは一度も止まることなく、今日まで活動を続けられています。途中で「休みたい」と思うことはなかったのでしょうか?
高見沢 そこは考えたことないですし、あまり休んでしまうと、(ベースを弾く)桜井の手の皮膚が柔らかくなっちゃいますからね。
–––(一同笑)
桜井 「痛ぇ痛ぇ」って、泣きながら弾くことになっちゃう(笑)。
坂崎 活動しながら、それぞれが上手にリフレッシュしているんですよね。
高見沢 逆にツアーがないときのほうが、体の調子が悪いんですよ。たとえば、新型コロナウイルス感染拡大で2020年春の全国ツアーが中止になったときは、結構キツかったですね。
–––ファンにとっては、皆さんの仲のよさもTHE ALFEEの魅力の1つなのかと思いますが、これまで喧嘩やぶつかり合いなどはあったのでしょうか?
高見沢 大きいものはないですね。本当にくだらない喧嘩は、たくさんしますけど。
坂崎 高見沢が桜井の出前を食べちゃったとかね。
高見沢 いや、全部食べたわけじゃないよ(笑)。
桜井 量の問題じゃない。俺が頼んだものを食べたことが問題なの。
坂崎 あと食べたあとの発言ね。「あ、マズイ!」って(笑)。
高見沢 桜井にはマズイものを食べさせちゃいけないって思ったのよ! 毒味してあげたの。
–––(一同笑)。楽曲を作り上げていく過程で、意見が割れてしまうこともないのでしょうか?
桜井 まずないですね。楽曲制作は、ほぼ制作部(高見沢)に任せていますから。
高見沢 もちろん制作途中でメンバーと話をしながら修正することはありますけど、その過程ですごく揉めることはないですね。
坂崎 THE ALFEEの特徴の1つが、高見沢が制作のほぼすべてを担っているという点ですよね。「自分で作った曲は自分がメインで歌う」という手法を採用しているバンドが多いと思うんですが、うちは高見沢が自分のためではなくTHE ALFEEのための楽曲を作る。桜井が歌う曲、高見沢が歌う曲、坂崎が歌う曲を、高見沢が一括してTHE ALFEEの曲として作ってくれているから、そこで揉めるようなことはないですね。
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もしタイムマシンで過去に戻れるなら「1989年くらい」
–––デビューして今年で「半世紀」が経過しますが、ご活動の中で、皆様が「やり直したい…」と思っていることはありますか? 「半世紀」と「反省期」をかけまして。
坂崎 それは常にありますよ。たとえばライブでも、「なんで気がつかなかったんだ」とか「もっと上手くできたな」とか。
高見沢 そういう反省は、それぞれが日々感じているよね。
坂崎 その日のライブ音源を聞き返して、「あのミス、お客さんにバレなかったかな」とか「次は間違えないようにしよう」とかもね(笑)。
–––では、もし一度だけ過去に戻れるとしたら、いつの時代に戻りたいですか?
高見沢 そうだなぁ……僕は、THE ALFEEの活動から少し逸れるけど、1989年くらいですね。
–––それはなぜでしょうか?
高見沢 当時、米・テキサス在住の友人から「(ギブソン社の)1959年製のレスポール・スタンダードが3本出たけど、どれか買う?」と言われたんですよ。写真も送ってくれて、かなり悩んだんですが、結局買わなかったんです。
でも、それ以降も価値が上がり続けて、今では1本ウン千万とするギターになった。1959年製のレスポール・スタンダードを、今の10分の1以下の値段で買えるチャンスがあったんですよ!
坂崎 タイムマシンがあれば、間違いなく3本買いに行くよな。
高見沢 そうだよな~! 当時は100~200万円のギターも高いなと思っていたんだけど、今じゃ桁がひとつ違うからなぁ……。
取材・文/毛内達大 撮影/下城英悟