自分のしたことを思えば恵まれた環境ですらあります
話を番組に戻す。水原は被害者と加害者の関係についてこんなことを書いてきた。
(被害者遺族と加害者の)両者をつなぐ役割の必要性は常々考えていました。同囚と謝罪などについて話すことがありますが、(刑務所内でそのための)アクションを起こして良いのかどうかや、謝罪の是非についてなどの話がよく挙がります。
謝罪をしたいのだけど、それは自己満足かもしれない。事件のことを思い出させてしまう。苦しませてしまう。それを考えるとするべきではない。しかし、もし、相手が謝罪を望んでいたら……と。
また謝罪する場合、直接、被害者やご遺族とやりとりできないと思うから、どうやればいいのかという声もあります。
その間をとりもつ組織があればと(同囚と)話をしますが、これまでそういった組織の必要性が議題に挙がることはなかったのでしょうか。
この中の生活を見たい、知りたいというご遺族の方々が少なくないとのことですが、ご遺族の方々は加害者にどのような生活を、何を望まれているのでしょうか。
今の刑務所は教育にも、罰にもなっておらず、宙ぶらりんな状態にあるように思います。施設側も教育に関しさまざまな取り組みを行っていますが、なかなかその実はともなっていないように思います。罰についてはこれはほとんど機能していません。
服役前はどのようなところなのだろうかとあれこれと考えていましたが、実際に服役してみますと、食事はまずくなく、舎房も汚くありません。「自由」が無いとよく耳にします。
けれど自分はそうは思わず、不便な点はよくありますが、自分のしたことを思えば恵まれた環境ですらあります。これでいいのだろうかと、ときどき思います。
結局、教育も罰も機能していない中では、反省やここでの生活の送りかたは個人次第ということになります。
写真/shutterstock
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贖罪 殺人は償えるのか
藤井 誠二
2024年7月17日1,210円(税込)新書判/312ページISBN: 978-4-08-721325-6少年犯罪を取材してきたノンフィクションライターの著者のもとへ、ある日、見知らぬ人物から手紙が届いた。それは何の罪もない人の命を奪った、長期受刑者からの手紙だった。加害者は己の罪と向き合い、問いを投げかける。
「償い」「謝罪」「反省」「更生」「贖罪」――。
加害者には国家から受ける罰とは別に、それ以上に大切で行わなければならないことがあるのではないか。著者の応答からは、現在の裁判・法制度の問題点も浮かび上がる。さまざまな矛盾と答えのない問いの狭間で、本書は「贖罪」をめぐって二人が考え続けた記録である。◆目次◆
はじめに 加害者からの手紙
第一章 獣
第二章 祈り
第三章 夢
第四章 償い
第五章 贖罪
おわりに 受刑者に被害者や被害者遺族の声を交わらせるということ