「きわどい衣装で不道徳的な歌を歌うポップシンガーになぜ」国中が強い怒りに…
アンドリュー・ロイド・ウェバーによって書かれ、アルゼンチン大統領ファン・ペロンの妻、エヴァ・ペロン(1919~1952)を題材にとった戯曲『エビータ』は、ブロードウェイで上演されるとロングランに。トニー賞を受賞するほどの成功を収めたことから、当然のように映画版の話が持ち上がった。
問題は、その主演女優にマドンナが選ばれたことから始まった。
1996年2月、マドンナはアルゼンチン大統領官邸へ向かう車の中にいた。シートにではない。顔を隠すために、車床に両手をついて這いつくばっていたのだ。
「マドンナ帰れ!」の貼り紙は、ブエノスアイレスの至るところにあった。その日、撮影を巡って大統領に直訴するためマドンナが来るという情報が伝えられると、混乱を恐れた政府はマドンナの官邸入りを禁止した。
エビータ(エヴァ・ペロン)は貧しい村の生まれから、第15代アルゼンチン大統領ファン・ペロンの二人目の妻となった女性だ。窮地にあった夫を救い、労働者階級の支持を集めて婦人参政権を実現させるなど国民に絶大な人気があり、アルゼンチンでは「永遠の聖女」とまで呼ばれていた。
その役を「きわどい衣装で不道徳的な歌を歌うポップシンガーになぜ」という強い怒りが国民の中に渦巻いていた。
しかし、逆風に怯むことなく、マドンナは大統領を動かして道を切り拓いた。結婚前に女優やモデルとして長年下積み生活を重ねていたエビータの境遇に、自身を重ねていたのだという。
映画『エビータ』のクライマックスとなるアルゼンチン大統領官邸、カサ・ロサダのバルコニー。万が一に備えて、ロンドンには巨費を投じた官邸の再現セットが組まれていた。しかし、悲願通りにブエノスアイレスの実際の大統領官邸で撮影が行われる。
当日の官邸広場には、エキストラとして参加した4000人ものブエノスアイレス住民たちが詰めかけていた。マドンナが夢に見た光景だ。万感の思いを込め、マドンナが第一声を発した時、静まり返っていた広場の人々の中から、シナリオには書かれていない本物の大歓声が沸き上がった。
それを耳にしたマドンナは立ち尽くし、思わず声を詰まらせたという。この時に歌われた楽曲『Don’t Cry for Me Argentina』が伝説となったのは、アルゼンチンの人々を含め、その場に居合わせた人々の思いが一つになった一瞬をとらえているからだと言われている。
文/TAP the POP 画像/Shutterstock
*参考文献
『セックス・アート・アメリカンカルチャー』(カミール・パーリア著/河出書房新社)
『マドンナ語録』(ブルース・インターアクションズ)
『コンプリート マドンナ:ほんとうの私を求めて』(J・ランディ・タラボレッリ著、吉澤康子訳/祥伝社)