さまざまな被害者遺族の言葉
某日。水原は拙著の『少年犯罪被害者遺族』(中公新書ラクレ、2006年)、『殺された側の論理』『アフター・ザ・クライム―犯罪被害者遺族が語る「事件後」のリアル』(講談社、2011年)、『「少年A」被害者遺族の慟哭』(小学館新書、2015年)から、自分を「罰している」と受け取った言葉を抜き出して書き送ってきた。
どの本にも、「仕事をすること、生きることがどうでもよくなる。加害者が憎くて殺してやりたいという殺意を押し殺して生活をすることで精一杯になる」という旨の遺族の言葉が出てくるが、その言葉を水原は毎日、反芻しているという。
ご遺族の言葉でとくに考えさせられた箇所についてですが、まず、武るり子さん(『少年犯罪被害者遺族』から)の、「私は一生憎むことを大事にしたい。そういう気持ちを失いたくないし、私は加害者に癒やされたくない」、それから、宮田幸久さん(同書)の「私は彼らの人生に関心などまったくありません。
(中略)更生しないことにもちろん怒ります、更生したとしても新たな怒りが湧く、これが当事者なのですよ」、村井玲子さん(同書)の「あなたは事件後、私たちがどのような生活をしているかわかりますか?これからあなたはどう生きていこうと思いますか?これから息子(拙著では実名。以下同〕や私たちに何をしてくれますか?私たちの生活を想像したことはありますか?私は母親としてあなたたちを一生赦すことはできません。
(中略)私は毎日、息子のことを忘れることはありません。息子と共に日々を送っています。辛い毎日です。でも、生きていかなければならないのです」です。
『アフター・ザ・クライム』からは、渡邉美保さん(被害者)の妹さんの「大勢の人から愛されて育ったから、人を恨んで生きた事がない。正直憎しみ方が分からない」、同書の渡邉保さん(被害者の父親)の(娘が殺害されたことが死につながったと考えられる妻の言葉に対して)「俺を責めるのか、それはないだろう……。そう一瞬思いましたが、それは女房の本心ではなかったと思います。
(中略)薬の影響もあり、周囲にあたるようになっていましたから。
誰かを責めなければ、気持ちが収まらなかったということもあるかもしれません」などのお言葉から事件後の家族間について考えさせられています。
補足をすると、渡邉さんの妻、つまり被害者の渡邉美保さんの母親は事件後、著しく精神を病み、電車にはねられて死亡したのだ。自殺なのか事故なのか、はっきりしたことは判明しなかったが、加害者が母親までも「殺した」ことは間違いないといえるだろう。
同書の上原和男さん(被害者の父親)の「ぼくは妻に怒るんですよ、泣いて娘(被害者・拙著では実名)がふたり帰ってくるんやったらなんぼでも泣いたらって。泣いたって帰ってけえへんやろ、と。それは1時間も2時間も仏壇の前で泣かれてみ、聞いているほうも苦しいんやから」。
『殺された側の論理』に書かれてある青木和代さんの、「どんなにむごい状況で息子(拙著では実名。以下同)が死んでいったのかを調書を読んで知り、写真を見たりして泣きました。
(中略)ショックで(調書を)読むことができませんでしたが、1字見ては泣き、1字見ては泣き、気が狂いそうになりながら読みました」「どんなに生きたかったか、どんなに悔しかったか、生きることができなかった、息子の命の重みを考えてほしいです。一生戻ってこない息子の命の重みを考えてほしいです。(中略)理不尽に命を奪われた息子の無念を真剣に考えてください」です。
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君が犯した罪は万死に値します
水原はこう続けて書いていた。
『「少年A」被害者遺族の慟哭』のユウカさん(拙著でも仮名・被害者の母親)の、「調書の中にタケシ(拙著でも仮名)の暴行された全裸の写真もありました。(中略)余りにもむごい姿でした。私は胸が苦しくなりました。とても辛くて、涙が止まりませんでした。(中略)とくに集中的に殴られた部分は、皮膚が赤黒く変色していました。打たれていない場所などありません。言葉では言い表せないぐらい本当にむごい姿でした。想像以上のむごい、ひどい姿でした」。
同書の、市原千代子さんの「それは土下座を含めて、自分を納得させたいだけの行為で、被害者や被害者遺族の気持ちは何も考えていない。ひとりよがりの謝罪です。そうすることで、彼は謝罪が終わったものと思い込んでいるのです」「赦すか、赦さないかという、二者択一ではありません。そういう複雑な私の思いを、うまく言葉にして伝えることができない、というもどかしさもあります」。
小木法子さん(同書)の「加害者に対する憎しみはいまでもあります。憎しみだけでは前に進めないけれど、赦すこともありえません。憎しみ100パーセント、赦さないも100パーセントの気持ちです。加害者は賠償金を支払うことで、罪を償おうとしていることは理解しようと思っています。理解していくしかない。でも、その〝理解〟は〝赦す〟とは違うんです。この感情を言葉にするのは難しいのですが」。
これらのご遺族の方々の言葉をノートに書き写し、読み返しますが、その言葉は重く、上に挙げたものだけでなく、すべてが自分のしたことの意味を考えさせられます。
『殺された側の論理』に記録されている本村洋さんの「毎日思い出し、そして己の犯した罪の大きさを悟る努力をしなければならない」「君が犯した罪は万死に値します。いかなる判決が下されようとも、このことだけは忘れないで欲しい」という言葉も脳裏に去来します。
本村洋の闘いについては、ジャーナリスト・門田隆将のノンフィクション作品『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』(新潮社、2008年)に詳しく書かれている。
いわずもがな、1999年に山口県光市で起きた18歳の少年が3人家族の妻と幼い娘を殺害した事件である。私も上記の『殺された側の論理』にルポをおさめ、『罪と罰』(本村洋・宮崎哲弥との共著、イースト・プレス、2009年)では本村と対話もしている。
写真/shutterstock