プロレスリング・ノアは所属選手の小川良成が現役引退を決断したと電撃発表した。ノアによると「小川良成選手は、1985年全日本プロレスでのデビュー以来40年近くの現役生活で、GHCヘビー級をはじめ、GHCタッグ、GHCジュニアヘビー級、GHCジュニアタッグほか数々の栄冠を手にするなど第一線で活躍されてこられました。近年はノアジュニアの中心に位置するだけでなく、技術面でもノアの支柱的な存在でした。しかし、頸部の負傷により今後現役を続ける事が難しいと判断されたため、小川選手ご本人からのお申し出により現役を引退されることとなりました」と小川の功績を讃えるとともに引退理由を明らかにした上で「小川選手本人の強い希望により、引退会見や引退セレモニーなども行いませんので、悪しからずご了承のほどあわせてお願い申し上げます」と引退会見や引退セレモニーは行なわないことも発表している。
【ノアN-1】新日本から武者修行中の大岩陵平と引き分け… “GHC王者”清宮海斗「ノアの闘いをあいつは吸収してたよ」 なお「現役生活は引退されますが、日常生活等は心配なく過ごす事ができます」とのことだが、結果的に8.4神奈川・横浜武道館大会での、ダガ&スペル・クレイジー&大和田侑とのタッグで、AMAKUSA&HAYATA&YO-HEY&タダスケとの8人タッグマッチが最後の試合となった。その後、頸部の負傷により4大会を欠場したが、引退を決断するまでの期間は短かったようだ。
全日本からノアの旗揚げに参加した丸藤正道は自身のXを更新し「引退会見もセレモニーも無し。僕は小川さんらしいと思う。さみしいけどこれは御本人にしかわからない事。僕個人としても小川さんとお話させて頂きました。そしていくつかのお願いもして良い返事も頂けた。小川さん、現役生活お疲れ様でした。これからもよろしくお願いいたします」と投稿したあとに、続けて「さっきは堅苦しい言葉で言ったけど本当はめっちゃさみしいんだよ。だって俺が入門して18の頃から色々教えてくれて、練習では厳しい中でも新弟子の俺をご飯誘ってくれたり、デビューして同じユニットにもいさせてもらって組んで、そして戦って、お酒も飲ませてもらって多くを学んだ人だよ。もう一度試合したかった」と寂しい気持ちを抑えられなかったのか、小川への想いを投稿している。
全日本時代は天龍源一郎氏の付き人を務め、天龍氏がSWSに移籍後は、渕正信、菊地毅らとともに全日本ジュニア戦線の一角として活躍。1995年9月にダニー・クロファットを破り悲願の世界ジュニアヘビー級王座を初戴冠。1998年には対ヘビー級戦線にも乗り出して、故・三沢光晴さんのパートナーとして、クセモノぶりを発揮。アジアタッグ王座、世界タッグ王座も戴冠している。
2000年に三沢さんが旗揚げしたノアに参加すると、2002年4月に秋山準を破り、なんとGHCヘビー級王座を戴冠。当時ジュニアの選手がヘビー級のタイトルを巻くのは異例で、その後アメリカなどで主流となった無差別級の先取りをしたのが小川だったと言えるだろう。ちなみにGHCジュニアヘビー級王座を初戴冠したのは、2020年1月と王座設立から18年かかっている。それだけ小川は階級に関係のない試合をし続けていたのだ。また全日本仕込みのレスリングを伝授する役割も果たしており、エースの清宮海斗をはじめ、現在は新日本プロレスと契約しているザック・セイバーJr.も小川のことを「師匠」と慕っている。ザックとはGHCジュニアタッグ王座も戴冠し、今年1.2東京・有明アリーナ大会では久々に師弟タッグを復活させた。
また2020年にはテレビ朝日系列バラエティ番組『アメトーーク!』プロレス大好き芸人の回で博多大吉が「デビュー35年見た目変わらず」と小川を取り上げたことで、世間からも注目を集めたが、本人はこの件に触れることもなく、最後まで“小川スタイル”を貫いた。引退会見や引退セレモニーを行なわないのもファンにとっては寂しいが、小川らしい引き際だ。丸藤とどのような会話がされたのかは定かではないが「いくつかのお願いをして良い返事も頂けた」という言葉を前向きに捉えて、ノアの支柱として三沢さんの信頼も厚かっただけに、次のステージでの活躍も期待したい。39年間の現役生活お疲れ様でした。
文⚫︎どら増田
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