〈服のまま浴槽に入れる「エモすぎる」銭湯〉女湯の脱衣所が喫茶店、浴室は映画館や釣り堀に…「歴史を終わらせない」廃業後の銭湯の“仰天”活用法とは

建物の老朽化に伴い、全国各地で廃業する銭湯が後を絶たない中、東京の下町・入谷の元銭湯「快哉湯(かいさいゆ)」が会社オフィス兼喫茶店として第二の人生を歩み始めている。築90年超の格式高い建築をほとんど残した状態でリノベされ、銭湯でおなじみの番台、体重計、富士山のペンキ絵、浴室まで、そのまま残されて「エモすぎる」とSNSで話題沸騰中だ。ときには披露宴会場や映画館にもなってしまう銭湯の仰天活用法とは一体⁉
 

築90年超の銭湯がカフェに 番台、体重計、富士山のペンキ絵が「エモい」

東京の下町風情漂う入谷駅から住宅街が立ち並ぶ路地を歩くこと約5分。一瞬で昭和にタイムスリップしたかのような木造造りに瓦屋根の厳かな建造物が突然姿を現す。1928年創業で築90年超の元銭湯「快哉湯(かいさいゆ)」だ。

石段を上がり、瓦葺きの玄関を潜る。年季の入った下駄箱に靴をしまい、木札を片手にいざ女湯の扉を開けると、そこに広がっていたのは脱衣所…ではなく、喫茶店だ。

「いらっしゃい」

そう言ってエプロン姿で出迎えてくれたのは、この喫茶店「レボン快哉湯」のマネージャーを務める多田真理さんだ。

 明治末期から台東区民の憩いの場であった銭湯「快哉湯」。関東大震災で一度倒壊したものの、1928年に再建築されて以降、姿を変えることなく街の銭湯として世代を超えて愛されてきた。しかし、建物の老朽化などにより2016年11月に惜しまれつつも閉業。当時のオーナーや常連客の強い思いから、建物をそのまま残す形でリノベーションを実施。2020年7月に喫茶店「レボン快哉湯」として第二の人生を歩み始めたのだ。

外観も含め喫茶店となっている脱衣所部分はほとんど当時のまま。入口を入ってすぐのところにある番台に体重計、荷物入れに使われている竹製のバスケット、上を見上げると「快哉湯」と描かれた風呂時計や、「貴重品は必ず番台へ」という注意書き看板など、当時のグッズもそのまま残されている。

脱衣所からさらに先の扉を開けると、そこには銭湯の代表的光景といえる富士山のペンキ絵が広がる。タイルづくりの浴槽もそのまま残してあり、来店客は洋服のまま浴槽に入ってみたり、富士山のペンキ絵の前で写真を撮ったり、番台に登ってみたりと喫茶店ではありつつも店内をうろちょろして動き回っているのが印象的だった。

 「お客さんは若いカップルや外国人観光客だけでなく、当時常連客だった地元の高齢者の方も来られます。『ここも変わってないねー』なんて言いながらみなさん嬉しそうに歩き回ってて、いろんな楽しみ方ができる不思議な空間です。

店内にはリノベの書籍や資料も揃っているので、『日本の銭湯ってこんなんだったよね』って思いを馳せながら、銭湯をはじめとした日本の古きよき建造物を好きになってほしいですね」(多田さん)

(広告の後にも続きます)

 「廃業せざるを得ない」手紙を読んだ常連客が

銭湯をリノベして喫茶店にする…そんな夢のような空間を作るまでの道のりは決して平坦ではなかった。

「できるだけ銭湯の空間を残しつつ、地域に開かれた場所にしたいと思っていました。ただカフェに行きつくまでには『映画館にしよう』とか『男湯を八百屋、女湯を花屋にしよう』とか随分迷走しました(笑)」

そう語るのは「快哉湯」のリノベーションを手掛けた建築会社「ヤマムラ」(本社・山形県新庄市)の取締役、中村出(いずる)さん(39)だ。現在、快哉湯の浴室部分を同社東京支店のオフィスとして活用している。

もともと「快哉湯」の常連客だった中村さん。銭湯を引き継ぐことになったきっかけは、中村さんが所属するNPO法人「たいとう歴史都市研究会」宛に当時のオーナーの男性とその家族から手紙が届いたことだった。

手紙には、ボイラーの設備などの老朽化に伴い廃業せざるを得ないという厳しい経済状況が綴られつつも「建物自体にとても思い入れがあるので、用途を変えてでもどうにか活用できないか」という内容が書かれていたという。いつも利用している銭湯の危機的状況を手紙で知った中村さん。

「手紙を読んだ時は正直ショックでした。今まで利用していた銭湯が未来永劫続くものではないんだなって。だからこそ常連客でもあった自分が何とかしなきゃと思いました」

使命感に燃えた中村さんはオーナーから銭湯を借り受け、リノベを実施することに。浴室をオフィスにすることは決まっていたが、脱衣所部分をどう活用しようか何年も協議を重ね、結果的に「地域に開かれた場所に」という思いから、カフェとして運営することが決まった。

リノベに際し、残せるものは全て残した。それでも唯一壊したのは浴室部分の男女の仕切りだった。

「仕事場としてもイベントをやるにしても邪魔になると思ったのと、そもそも男女の境を取っ払えるような空間にしたかったんです。結果、銭湯って上から光が入る作りになっているんですが、それがまるで教会みたいな雰囲気で。社員が談笑したり、図面を広げたり、ディスカッションするのにとても気持ちのいい空間にはなっています」

一方、気になるのは喫茶店として用いられている男女の仕切り部分。取っ払った方が店員の目が行き届きやすいようにも見えるがなぜ残したのだろうか。

「かつてこの仕切りの鏡を使って利用客の方々が踊りの練習をしていたらしいんです。新しくなってからの運営上のことより、歴史を終わらせないように優先したいなと思いました」

営業当時は地元住民のみならず、近くのゲストハウスに宿泊する外国人観光客も集い、番台に座るオーナーの妹と地元話で盛り上がるなど、まさに地域の交流の場だった「快哉湯」

「関東大震災以降、平屋で天井が高くて富士山のペンキ絵があるような派手な作りの銭湯が墨田区や台東区など東京の下町を中心に一気に普及しました。作り方は非効率ですが、歌舞伎座みたいな独特な魅力があります。

建物自体から『災害に負けないで頑張ろう』という日本の大工さんの気迫を感じますし、そういう建築物ってお金をかけて新しく作ろうと思っても難しい。ユニークな空間でできる再生の在り方って多種多様だと思うので、できるだけ活用して日本独自の建物を残していきたいと思います」