「化学物質過敏症」を聞いたことがあるだろうか。身の回りにある“刺激”に体が反応し、さまざまな症状を引き起こす病で、誰にでも発症し得るが、その正しい認知は広まっていない。そんな「ナゾの病」の臨床・研究に第一線で携わる渡井健太郎医師に話を聞いた。
潜在患者1000万人以上でも広まらない認知
どんなに医学が進歩しても、いまだ全容解明に至っていない病がある。
世間一般、また医療従事者の間にすら認知が十分に広がっていないにもかかわらず、現在の患者数は国内で100人に1人の約120万人。重篤なアレルギー疾患や精神疾患と誤診されやすいため、潜在患者は1000万人以上ともいわれている。
しかも、ある日突然花粉症になってしまうように誰にでも発症の可能性があり、患者数は増加傾向にあるという。
その病とは「化学物質過敏症」。10年以上前になるが、筆者はこの病を発症した当人や家族を取材したことがあり、ある人は空気中に漂う香料、タバコ、排気ガスなどに鋭く反応し、不特定多数の人が利用する電車やタクシーにも乗ることができない。
食事は有機野菜に頼らざるを得ず、ご飯が炊けるときの匂いや新聞や雑誌で使われているインクの匂い、さらに窓の外から聞こえる子どもの大きな声で体調を崩すという人もいた。
一度罹患すると日常生活や社会活動に支障をきたし、それだけでも問題なのに、周囲の理解を得られないことから孤独感を深め、当人のみならず家族までをも苦しめるとてつもなく恐ろしい病だと感じていた。
「患者さんは多種多様な化学物質や環境条件、日用品や薬剤、食物からの微量な刺激にも敏感に反応し、その7割程度に臭覚過敏が認められます。
症状はじんましん、めまい、頭痛、呼吸困難、吐き気、腹痛や疼(とう)痛など人により実にさまざまで、受診すべき診療科がわかりにくく、ドクター・ショッピングを何年も繰り返してしまう。ようやく化学物質過敏症と診断されたのは、発症から10年後という例も多いです」
そう話すのは、湘南鎌倉総合病院免疫・アレルギーセンター部長の渡井健太郎医師である。
15年ほど前からアレルギー科医として患者と向き合う過程で喘息や薬剤アレルギー、食物アレルギー、花粉症といった一般的なアレルギー症状とは明らかに異なる患者がいることを知り、生き地獄のような日々を送る患者を救いたいと、化学物質過敏症の解明に向けての研究を続けている数少ない医師の一人だ。
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多大なストレスに山奥で暮らす患者も
渡井医師は続ける。
「同僚の医師が『一番なりたくない病気は何だろうと考えたとき、化学物質過敏症かもしれない』と言っていました。命にはかかわらないけれど、生きているほうが当然いい……とはなかなか思えない。また診療に当たる医療従事者側も、多大なストレスから人に対して攻撃的な一部の患者への対応で心をすり減らし、最後はもう診られないと診療拒否に至るケースもあります。化学物質過敏症とは、患者にとっても医療従事者にとっても非常に過酷な病です」
となれば、なおさら一日も早い治療法の確立が望まれるが、大規模な臨床試験に基づく科学的根拠に乏しく、現段階では化学物質過敏症に保険適応の治療法はない。
「発症につながる根本的な原因がはっきりしていない、それが大きな理由です。患者さんが反応しやすいものとして洗剤や柔軟剤に含まれる香料、またここ数年ではコロナ禍以降頻繁に使われるようになった消毒用アルコールなどの揮発性物質がありますが、ではそれらを排除した生活を送ればこの病が治るかといったらそうでもない。これらがきっかけで引き起こされてはいても、それ自体が根本原因とは言い切れないのです」
化学物質などからの曝露(さらされること)を避けるため、人里離れた山奥で生活しているという患者がいる。でもその生活を続けていたら治るかというと、治ってはいないのだという。あくまで回避にすぎず、転地療法や対症療法ともいえない根本の解決策ではないからだ。