1985年の6月1日にデビューしたTUBE。世間の多くの人がイメージする「夏バンド」というイメージについて、ボーカルの前田亘輝はどう思っているのか。2025年に40周年を迎えるTUBEというグループのことを聞いてみた。(前後編の後編)
「夏のTUBE」という仮想敵国と戦った
――TUBEの夏の歌にたくさんの人が背中を押されてきたと思うのですが、TUBEといえば夏というイメージに疑問や反感を抱いたことはなかったのでしょうか?
前田亘輝(以下同) しょっちゅうありましたよ。抵抗もしましたね。『シーズン・イン・ザ・サン』から始まって、『あー夏休み』で夏のイメージが決定づけられたとき、雑誌の取材なんかで「(季節の)果物として八百屋でも売ったほうがいいんじゃないか」とか言われたりして。シャレだったんだろうけど、自分たちも若かったから「なんて音楽を冒涜したライターなんだ」ってイラッとしたりなんかして(笑)。
「俺たちはミュージャンなんだ」ってことを証明しようって、秋冬にビーチシーズンと関係ない曲を作ったり、秋冬だけ50本ちかくツアーをやったり、アルバムを出したりもしましたよ。自分たちという仮想敵国を作って、「夏のTUBEに負けたくない」という思いで戦って。それが励みにもなってたんだと思うんですけどね。
――その戦いの結果、出た答えはあったんですか?
あるとき、自分が求められてるものや、やりたいことを認めさせるのは「エゴだな」っていうことに気づいたんですよね。それが30代後半ぐらい。とにかく人を楽しませれば自分たちも楽しいはずだって。
だから30~35歳ぐらいのときが一番、解散の危機にいたんじゃないかな。でも、「学級委員になりたい」って毎年言ってても、選ばれなかったらしょうがないときもあるじゃん? 思いだけじゃ伝わらないんだよね。だいぶ遅かったね、大人になるのが(笑)。
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楽しんでいる人の顔を見て楽しめない自分たちがいた
――15~20年目ぐらいの頃は、夏のTUBEに抵抗して足掻いていたわけですね。
そうですね。足掻き続けてたと思いますよ。
――バンドの危機というのは、TUBEを続けることに限界を感じたような感覚だったんですか?
楽しんでいる人の顔を見て、楽しめない自分たちが現れてきたんです。だから、ライブとか曲で、30歳過ぎた大人としてのメッセージを散りばめていくわけですよ。みんな、聴いてはくれるんだけど、「それを聴きに来たんじゃないんだけどな」みたいな反応もあって。
それこそ夏バンド!みたいなイメージがついてきた当初、秋冬に、春夏行かないようなところも含めて全国ツアーに行くと、地元のホテルとかスーパーの方に「大変ねぇ。冬にこんなところまで来なきゃいけないのね」とか言われて。そういう理由で来てるわけじゃないのにって思いながら、説明するのめんどくさいから、ただお菓子を買って帰ろうとすると、小声で、「お金はいいから」って(笑)。
――え! 出稼ぎに来ていると思われたわけですか(笑)。
うん。先入観っていうのは怖いね。
――TUBEファンは、TUBEのことを夏バンドだと思っていないと思うんですけど、そこと世間のイメージにギャップがあって、それに苦しめられたわけですね。
そう。流行りの破れてるジーパンを履いてたら、「新しいの買えないんだ」と思われたりしてたな。メンバーの親も周りからそう言われるのか、ヴィンテージの古着の衣装を縫い直してくれて(笑)。裏布あてて、アップリケみたいなの貼っちゃったりして、高い古着の価値が台なしですよ(笑)。
セーターを着てるだけで、街で「Tシャツじゃないの?」ってからまれたりもしたし、肩身が狭かったよね。そういうことを経験した若い頃は、「なにくそ、音楽で認めさせてやる!」みたいな気持ちがありましたね。