元日本代表MFの前園真聖氏が8月22日、自身のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に最新コンテンツを投稿。1996年のアトランタ五輪やヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)で共闘した廣長優志氏と古巣について語った。
廣長氏は桐蔭学園高から94年にV川崎に加入し、97年までプレー。前園氏は、鹿児島実高を卒業後の1992年に横浜フリューゲルスでプロキャリアをスタートさせ、97年にV川崎に移籍した。
当時のヴェルディは低迷期に入りつつあった。Jリーグが開幕した93年と94年にリーグ2連覇を達成したが、95年以降は2位、7位、15位と順位を落としていった。
前園氏は「96年、97年がだんだん、主力の選手たちも少し年齢(が上がる仕草)、選手もいろいろ変わってちょっと過渡期に入っていたのは間違いない」と振り返る。
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一方、廣長氏はビスマルクの流出を低迷の理由に挙げる。93年途中にV川崎に加入したブラジル人MFは、96年まで活躍。その後、97年に鹿島アントラーズに移籍し、前園氏と入れ替わる形となった。この点が、ヴェルディにとって痛かったという。
「ビスマルクがいなくなったでしょ。で、ゾノが入ってきたでしょ。ビスがいてゾノがいたら多分、継続で強かったと思う。何でかと言ったら、ゾノは俺から見たら、使う選手じゃないのよ。どちらかと言ったら。オリンピックの時は使えたし使われてもいたけど。(フリューゲルス時代の)ジーニョがいた時もそうだけど、絶対ゾノは使われる選手。ゾノがヴェルディにマッチしなかったのは、自分が使う選手にならなきゃいけない(から)。ここがデカいと思う」
戦友の見解に前園氏は、「たしかにね」とうなずいた。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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