病気で右足を失い、義足をつけて学校に復帰した高校2年生のメグミは、周囲が驚くほど明るく振る舞っていました。しかし帰り道、無意識に歩道橋から飛び降りようとして……。漫画家、うおやまさんのマンガがX(旧:Twitter)で公開され、「素敵な話」「泣いた」と反響を集めています。



学校に復帰したメグミは明るく振る舞う(うおやまさん提供)

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明るく振る舞う主人公の本心は?

 病気で右足を失い、義足をつけて学校に復帰した高校2年生のメグミは、周囲が驚くほど明るく振る舞っていました。しかし担任の先生から「スピーチをしてくれないか」と頼まれたその日の帰り、無意識に歩道橋から飛び降りようとします。そこへ声をかけたのは、車椅子に乗った違う高校の男子で……。

 漫画家のうおやまさん(@uoyamangamanga)による創作マンガ『足を失った高校生の話』がX(旧:Twitter)で公開されました。本作は「くらげバンチ」にて連載中の『木暮姉弟のとむらい喫茶』の第7話(原題:「はじまりのブラックコーヒー」)です。

『木暮姉弟のとむらい喫茶』は、大切な誰かを亡くした人が抱える心の喪失感を、不思議な喫茶店の店主たちがさまざまなメニューで弔っていく、1話完結型の物語ですが、今回ご紹介する7話は「誰かを亡くした」のではなく、「自分の一部をなくした」主人公が登場します。

 読者からは「素敵な話」「泣いた」「現実的」「気丈に振る舞う姿に感情移入した」「前向きな人が本当に前向きだとは限らないんだよね」「担任にイライラした」「当事者ではない人こそ、熟慮の上発言してほしい」などの声があがり、投稿には8.3万いいねの反響が集まりました。

 作者のうおやまさんに、お話を聞きました。

ーー『木暮姉弟のとむらい喫茶』のあらすじにある「大切な誰かを亡くした人」は登場しません。これまでと少し異なる第7話「足を失った高校生の話」はどのように生まれたのでしょうか?

 この作品は、人生で誰しもが経験する「喪失」から立ち上がる物語なので、もともと「死」以外の「喪失」も取り上げようと思っていました。「死」が人生最大の喪失ととらえる方も多いかもしれませんが、「生きる」ということは時に「死」以上の苦しみを伴うこともあると思います。

 第7話の主人公メグミは、大切な足を「喪失」しましたが、それは彼女には死ぬのと同じくらいの衝撃だったと思います。だから、「死」以外の喪失も、決して軽視するものではないということを描きたくてこの話は生まれました。

ーー7話では、「誰か」ではなく「大切な足」をなくした主人公と車椅子の少年が登場します。このストーリーを描くうえでこだわったポイントや心がけたことなどはありますか?

「喪失」から立ち上がるとき、自分の悲しみや苦しみを否定せず受け止めることが必要なのかなと感じていて、それを一番に表現しようと思いました。そしてその際に、同じように足が不自由な少年だからこそ、メグミに言えるセリフがあると思いました。でも車椅子の少年も神様ではないから、分からない気持ちや、間違ったことを言ってしまうこともあるというところもちゃんと描かないといけないと思いました。

 そして「障がい者」の当事者はしばしば、当事者以外の人たちに、「こうあらねばならない」というジャッジをされます。「良い障がい者であれ」という私たちの無意識な視線、それに対するメグミの「自分にとって障害は、他者からのジャッジの道具ではない。ずっと付き合っていく日常である」という思いを、最後の先生とのシーンに込めました。

 単に障がい者が立ち上がる話、というだけでなく、当事者以外の私たちにとっても何か感じていただける話になればいいなと思いました。



『木暮姉弟のとむらい喫茶』単行本1巻が発売中(新潮社)

ーー7話にはたくさんの感想が寄せられています。特に印象に残った読者の声について、教えて下さい。

 実際に障害や持病のある方々やその関係者の方から「自分も立ち上がるのに時間がかかった」「まだ受容できていない」という共感の声をいただきました。障害や病気以外の人生の苦しみを経験した方にも共感していただけた印象です。

 また、メグミにスピーチを勧める学校の先生に対して「無神経だ」と批判の声も多かったです。ただ今回はたまたま学校の先生でしたが、自分はこの先生が特別悪者とは思っていなくて、こういう「不幸があっても誰かの役に立つなら良かったね」という言葉は、よかれと思って誰しも思ってしまう可能性はあると思っています。でもそれはやはり、あくまでも本人が決めることで、他人が決めつけることではないと思います。

ーー『木暮姉弟のとむらい喫茶』単行本1巻が発売中です。収録内容や見どころなどをご紹介いただけますか?

 この作品は、希望の物語でありたいと思っています。「喪失」から再び立ち上がるための弔いの喫茶店だからです。

 1巻には5話分が収録されていて、大切な家族やそうでもない家族、猫からよく知らないおじさんまで、さまざまな角度から「喪失と再生」を描いています。そして毎回、物語のフックとしてさまざまな喫茶店の食べ物が出てきます。

 読んだあと、喪失の話なのになぜか元気が出たなあ、と思ってもらえたらうれしいです。