「オシャレしてきてね」が唯一のルール? 若年女性がテニスコートから消えた令和の日本で、インフルエンサーが立ち上げた活気的な『テニス女子サークル』とは?

悲しいことに、テニスは日本では近年あまり人気がない。かつて1000万人以上いた競技人口は半分以下になり、特に若い女性が少なくなっている。しかし、世界ではロレックスやメルセデスベンツなどが大会で欠かさず協賛する、オシャレで人気のあるスポーツだ。日本でのテニスのイメージを変え、テニスを楽しむ若い女性を増やそうと活動するテニスインフルエンサー宇野真彩さんに話を聞いた。

若い女性がかわいいウェアを気軽に着られない

テニスといえば、女の子がスコートをひるがえしコートを駆ける——そんなイメージを抱いている人は、少なくないかもしれない。今年公開された映画『チャレンジャーズ』でも気鋭のハリウッド俳優・ゼンデイヤがクールなテニスルックを披露したことで話題にもなった。

テレビで中継されるテニスの国際でも海外の女性選手たちはスポーツドレスやスコートを着こなしているが、現実の日本のテニススクールでは、そのような姿を見ることはあまりない。

かつて若者を中心にブームを誇ったテニスだが、現在コートに通うのは若い頃からテニスに親しんできたテニス愛好家たち。もちろんいくつになってもスポーツを楽しむことは素晴らしい。

だが若い女性も含めて楽しまれているゴルフとは違い、社会人になると極端に若い女性の競技人口が減ってしまうのがテニスの現状だ。

そのため新しくテニスを始めたい、あるいは久しぶりにテニスを楽しみたいと思った若い女性たちが、かわいいウェアを着たくとも気後れしてしまう空気が存在しているという。

「若い女性だけでテニスをしているサークルは、私が知る限りありません。男性がいるから着れないということではないのですが、短いスコートなどは浮いてしまいますよね。同世代でかわいいウェアを着てわいわいテニスを楽しめる環境があればいいなとはずっと思っていました」(中西さん)

そんな若い女性たちの要望に応えるかたちで、テニスインフルエンサーの宇野真彩さんが『テニス女子サークル』を立ち上げた。どんな経緯でサークルが立ち上がったのか、宇野さんのキャリアとともに話を聞いた。 

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一度はテニスから逃げた

都内のインドアテニスコートで、若い女性たちの軽やかな笑い声と、心地よい打球音が響く。

ラケットを手に、スコート姿でコートを駆けるのは20~30代の女性たち。ボールを打つ合間に写真を撮り合う彼女たちのテニス歴は、「高校時代に団体戦で全国優勝した」という猛者から、「社会人になってから始めた」という人まで幅広い。ただ全員に共通するのは、「好きなウェアを着て、テニスを楽しくプレーしたい」という思い。

そして、同世代の女性たちと気兼ねなくテニスができる場を探していたところ、この『テニス女子サークル』にたどり着いたという経緯だ。

——まずは宇野さんのテニスキャリアを教えてください

宇野(以下同) テニスを始めたのは、小学3年生の時です。大坂・四條畷(しじょうなわて)市のテニスクラブに、体験レッスンで行ったのがきっかけでした。その後、中学に上がるタイミングで鎌倉市に引っ越したんですが、市内には硬式テニス部がある中学校が無かったんですよ。

そこで学校に『硬式テニス部を作ってください』と頼み、部員は私だけで活動を開始。大会に出場するためのハンコをもらいに行くだけで中学では実質的な活動はしていませんでしたが、お陰で高校にはスポーツ推薦で進むことができ、その後のキャリアに繋がりました。

——高校卒業後、プロに?

18歳で選手活動を始めましたが、20歳で辞めているので、活動期間としては一瞬でした。やっぱり、つらかったんです。当たり前ですが、大会で優勝するのは1人だけ。負けてばかりだし、いつも一人で転戦していたので、メンタル的に弱ってしまい。

遠征にはお金も掛かるので、親やスポンサーにも「負けてばかりで申し訳ありません」という気持ちになる。もう「自分には無理だ」と諦めてしまった感じでした。

——引退後の活動は?

テニスから「逃げた」という気持ちがあったので、すぐテニスに関わる気持ちにはなれず、一度環境を変えたくて地元の大阪に戻ったんです。親族が美容系学校の仕事をしていたこともあり、アロマセラピーやメディカルハーブなどを習い、資格を取りまくりました。

ただ、いざエステサロンに行って就職面接を受けているとき、「何か違う」と感じちゃったんですね。そこで改めて何がしたいか考えたときに「やっぱりテニスが好きだ」と気づいたんです。