今年も酷暑のなかでの戦いとなった夏の甲子園。高野連は「7イニング制」を検討するなど、大会自体がひとつの曲がり角に来た感もあるなか、夏の甲子園はどこに向かっていくのか。小説家の早見和真さんと、ノンフィクションライターの中村計さんが語った改革案とは。
高校野球における大人の役割とは
中村 新型コロナウイルスの流行下、早見さんにインタビューさせてもらったことがありました。そのとき、とても印象的だったのは球数制限など、高校野球のルールを決めるときに、なぜ選手に意見を聞かないのかとしきりに話していたことなんです。
もう充分、判断できる年齢にあるのに、と。そのとき、僕は賛同するフリをしていましたけど、ピンときていなかったんです。なんでそんな面倒なことをしなければいけないんだ、と。そのことも『高校野球と人権』の中に書いているんですけども。
早見 読みました。えー、中村さん。ピンときてなかったの⁉ って。
中村 早見さんが人権というものをどこまで明確に意識していたかはわからなかったのですが、いずれにせよ、この人は人権の意味をすでに捉えていたんだなということがようやくわかったんです。
早見 いやいや、そんなしっかりした意識ではなかったですけどね。でも、つい最近、そういう感じのコラムを日経新聞(7/28付「その声は、誰の声?」)で書いたんです。
そうしたら、概ねいい反応が返ってきたんですけど、いくつか「寝言言ってんじゃねえよ」とか「高校生に判断なんてできるわけないだろ」みたいな意見があって。驚いたのは、そういう意見の多くが教員からのものだったんです。
こんな人が先生をやってるからダメなんだよという気持ちにもなったし、現場で実際、高校生と接しているとそういう感覚になるのかなとも思うんですけど、でも、いずれにしても立ち返るのは高校時代の自分たちでした。
あのときの僕たちには思考できる力が間違いなくあったし、それを言葉にすることもできたと思うんです。ただ、それを表明させてくれる空気だけがなかった。そこを作るのが大人の役割だと、僕は本気で信じています。
中村 今年も日本高校野球連盟が7イニング制導入の議論をしていることが明るみになり、それに対する高野連関係者や監督の意見は報道などでいくつか見聞きしました。ただ、それはメディアの責任でもあると思うのですが、やっぱり選手に聞こうというふうにはならないんですよね。結局、主役であるはずの選手がどう考えているかが見えてこない。
早見 高野連は全校一斉アンケートを実施したらいいと思うんですけどね。ただ、絶対条件がひとつだけあります。それはチームメイトと話し合って書くなということです。他の選手に「どうする?」って聞いたら、その瞬間に何らかの集団心理が働いてしまう。あなたはどう思うかということだけを聞きたいんです。
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「僕はドーム球場でやる高校野球を少し観てみたい」
中村 聞いてみたいですよね。球数の問題もそうだし、甲子園以外の球場でやることをどう思うかということもそうだし。
早見 選手たちは暑い甲子園でやりたいと思うんだけどな。それに憧れて高校野球を始めた選手が大半なんですから。
1998年夏のPL学園と横浜の延長17回が今のようにタイブレーク制で延長10回で終わっていたら、きっとスーパースターのうち誰かは出てきてないと思うんですよね。それは大谷翔平君かもしれないし、藤浪晋太郎君だったかもしれない。
2006年夏、早実の斎藤佑樹君と駒大苫小牧の田中将大君が投げ合った延長・再試合が仮に札幌ドームでやっていたらどうですかね。誰かは出てきてないという気がします。
僕は高校野球の正体は「憧れの再生産」だと思っています。なのに今、大人たちは「選手のため」という大義名分のもと、その憧れを奪おうとしているようにも見える。
もちろん選手たちの健康を守るという絶対的な条件は必要ですが、同じように憧れを奪うこともしてはいけない。100年後の高校野球のことも考えなければいけないと思うんです。
中村 でも僕はドーム球場でやる高校野球を少し観てみたい気もしているんです。どうなるんだろう、と。
早見 それは丸刈りに対して違和感を覚えていなかったときも、そう思っていましたか。
中村 そういう思いはあったかもしれませんね。おそらく僕は早見さんほど甲子園に近づけた経験がないので、そこまで憧れが強くなりようがないんですよ。そこは大きな差だと思うんです。
早見 たしかにドーム球場で、ベストコンディションでゲームをすることにも意味はあると思います。ただ、少なくとも高校時代の僕らは、周囲の大人たちが訳知り顔で「ドームでやろう」みたいなことを言い出したら、「部外者は引っ込んでろよ!」って言っていたと思います。
だってドームに憧れたことなんてないですもん。僕らは全国大会に出たかったわけじゃなくて、甲子園に出たかったわけですから。
中村 早見さんがコロナ禍の星稜と済美の野球部を描いたノンフィクション作品『あの夏の正解』の中にもそのシーンがありましたけど、2020年の夏の大会がなくなって、その年の春、選抜大会に出場することになっていた高校が1試合ずつ甲子園で試合ができることになったじゃないですか。
選抜も中止に追い込まれ、彼らは甲子園で試合ができなかったので。そのとき、優勝がかかってない試合になんの意味があるのかと思ったら、ほとんどの高校が大喜びしていたじゃないですか。明徳義塾の馬淵史郎監督も、あんなに甲子園に出ているのにすごく喜んでいて。「今日は焼き肉パーティーや!」って。