「えっ? おまえら、いつ監督を許したの?」
中村 この本の中には早見さんの言葉も出てくるんですが、それとは別にもうひとつ、名前は出さなかったのですが、私は〈ある人は日本全体が「高校野球は素晴らしいものだという集団洗脳にかかっているんだ」と話していました〉としゃべっているんです。実はこの中の「ある人」も早見さんなんです。
早見 すぐに気づきましたよ。
中村 早見さんは、いわゆる高校野球的なものに対して、拒絶から寛容に傾いてきていて、私は肯定から否定に傾いているということなのでしょうか。
早見 いや、否定ではないと思います。あくまで、逡巡ですよ。果たして、このままでいいのか、という。その迷っている感じがいいんです。このことはまだ聞いたことなかったと思うんですけど、中村さんは高校時代、野球部で理不尽な目にも遭ったわけですよね。それでも卒業するとき、高校野球はいいものだという感覚のままでいられたのですか。
中村 まったくいい思いをできなかったので挫折感はありましたけど、そこまで否定的ではなかったと思います。早見さんのように本気でプロ野球選手を目指していたのに高校で補欠に甘んじたというほどの大きな挫折でもなかったですし。早見さんは高校時代、すでに恨みでいっぱいだったわけですもんね。
早見 高校野球というよりは、その周りを取り巻く大人たちに対する恨みだった気がします。『高校野球と人権』を読んでいて、いっぱい思い出しましたもん。あれが誰だったのかは覚えていないのですが、僕を名前でなく「おい、補欠」って呼んだ大人の顔、あの揺るぎのない表情、いまだに鮮烈に覚えています。
中村 私の高校は公立だし、弱小野球部だったので、そこまで嫌な大人はいませんでしたね。そういう意味では、やはり『ひゃくはち』も『アルプス席の母』も、いわゆる甲子園常連校で野球をやった経験のある早見さんにしか書けないのだと思います。
早見 すごく恥ずかしい話をするんですけど、高校時代、近しいチームメイトも僕と同じように野球を恨んでいたと思うんです。でも、33歳ぐらいのときかな、一番仲の良かった当時のチームメイトから電話があったんです。
そこで「今度、監督とゴルフ行くから、おまえも来い」と。僕、それが衝撃だったんですよね。えっ? おまえら、いつ許したの? って。47歳になった今ならわかるんです。33歳は物事に折り合える程度には充分大人なんだと。でも、当時の僕は本当にショックだったんです。
(#2に続く)
撮影/下城英悟
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アルプス席の母
早見 和真
2024/3/151,870円(税込)354ページISBN: 978-4093867139
まったく新しい高校野球小説が、開幕する。
秋山菜々子は、神奈川で看護師をしながら一人息子の航太郎を育てていた。湘南のシニアリーグで活躍する航太郎には関東一円からスカウトが来ていたが、選び取ったのはとある大阪の新興校だった。声のかからなかった甲子園常連校を倒すことを夢見て。息子とともに、菜々子もまた大阪に拠点を移すことを決意する。不慣れな土地での暮らし、厳しい父母会の掟、激痩せしていく息子。果たしてふたりの夢は叶うのか!?
補欠球児の青春を描いたデビュー作『ひゃくはち』から15年。主人公は選手から母親に変わっても、描かれるのは生きることの屈託と大いなる人生賛歌! かつて誰も読んだことのない著者渾身の高校野球小説が開幕する。