マンガジャンルのなかでは地味だとされていた「歴史もの」だが、そこにスポーツマンガの文法を導入することで、『センゴク』の作者・宮下英樹氏は手ごたえをつかんでいく……。
初めて明らかにする歴史漫画作劇の極意が語られた『歴史知識ゼロの僕がどうやって18年間歴史マンガ『センゴク』を描き続けられたのか?』より一部抜粋、再構成してお届けする。
スポーツ漫画の文法を導入するには
歴史マンガ『センゴク』の連載準備期間のうちに、数巻分の展開は具体的に準備しておく必要がありました。
まず決まっていたことは、姉川の合戦における山崎新平との一騎打ちを山場にするということ。一騎打ちを『仙石家譜』で見つけたときから、それは決まっていました。
『ヤングマガジン』の漫画を研究すると気がつくのは、ヤンキー漫画ではおよそ「第5巻」くらいから「抗争編」が始まるパターンが確立しているということです。
たとえば原作・木内一雅さん、漫画・渡辺潤さんの『代紋TAKE2』では第4巻・第5巻で抗争が始まっています。「抗争編」が始まることによってストーリーが一度ピークまで盛り上がり、その後も目が離せなくなるようにできている。だから、僕も「第5巻」に一騎打ちを持ってくれば、理想的な構成になるだろうと考えました。
ではそこまでの持っていき方をどうするか。結論からいえば、「スポーツ漫画」の文法を大胆に応用することにしました。なにしろ先行作品のなかに僕の漫画文法にうまく当てはまるものが見つからず、歴史読みもの的な漫画文法を自分なりに一から考えないといけない。ならば、漫画の基本であるスポーツ漫画に立ち返ろうと思ったのです。
スポーツ漫画はなぜ漫画の基本なのか。これには編集者の山崎稔さんの至言があります。「スポーツ漫画のいいところは、どんなに登場人物たちの人間関係がこじれても、試合さえ終わればすべて解決! どれだけお話をこんがらがらさせても収拾をつけられる」。
映画の『ロッキー』などはまさにそのように出来ていますよね。スポーツ漫画には試合という区切りがあるのがわかりやすく、取り付きやすいジャンルだということです。
戦国時代の合戦はいわば「集団戦」ですから、スポーツ漫画の中でもとくにチームスポーツには参考にできるところがたくさんあるのではとも思われました。戦国時代の兵というのは、ちゃんとした訓練を受けた専門の軍人というわけではありません。
東郷先生も口を酸っぱくして教えてくださったことですが、戦国時代の合戦は近代化された国民国家の軍隊の戦闘とはまるで違う。そのリアリティを描こうとすると、ことのほかスポーツ漫画の部員のイメージがぴたりときました。育ちも考え方もモチベーションも異なる「野郎ども」。彼らを一つの軍としてまとめあげることを想像してみると、まさに統率とは「部員を扱うが如し」。
ヤンキーを立派な部員に仕立てあげていくかのように、リーダーはとにかく覇気を見せつける。戦も大きい声を放って「お前らも声出せ!」と、自軍を鼓舞して敵軍を怯えさせるところから始まる。
その上、当時の兵は、士気も習練度もところによりバラバラ。時代や地方によって乱雑さの程度は様々ですし、織田軍団の内部でもどの武将の配下かによってかなり違う。スポーツ漫画の文法に置き換えてみると、不良だらけのチームもあればエリートの強豪校もあったということ。そんなふうに戦国時代とスポーツ漫画を繋いでみると、思いのほか実にしっくりくるたくさんの符合があったのです。
(広告の後にも続きます)
『SLAM DUNK』の「三井寿の合流」を戦国で描くと?
多くのスポーツ漫画では、本大会を前にして「部内の紅白戦」や「近くの高校との練習試合」をします。たとえば『SLAM DUNK』は、そのあたりの序盤の作劇がとくにしっかり作られています。
『センゴク』でも、まさにそれをやりました。「試し合戦」です。
「試し合戦」とは、織田家臣団の内部で行われる模擬合戦。実戦さながら命懸け。出陣する武将の中で名を挙げれば「赤母衣衆」「黒母衣衆」、つまり信長の親衛部隊に登用される。
権兵衛は若き日の木下籐吉郎(秀吉)の配下に入り、「鬼柴田」こと柴田勝家や「豪勇無双」可児才蔵と激しい戦いを繰り広げる。信長に仕官した権兵衛にとっての最初のイベントであり、織田家臣団の顔見せでもあります。スポーツ漫画になぞらえれば、まず主人公のチームメイトを紹介し、同時に、チーム内のライバルとの切磋琢磨が始まるというわけです。
「部やチームになかなか入ってくれない強者が味方になってくれる」というお約束もしっかりやりました。『SLAM DUNK』でいうところの「三井寿の合流」です。
あの流れに沿って、「試し合戦」編では、軍師・竹中半兵衛との出会いを作劇しました。争いごとを好まないと言ってどの陣営にも決して与さない半兵衛を、権兵衛が必死に口説き落とそうとする。籐吉郎は、元々半兵衛と知己であるわけですが、自分だけの利害のために半兵衛を利用する形になっているんじゃないか、そしてそのことが半兵衛を傷つけているんじゃないか、半兵衛を強引に口説きたくはない、と彼ならではの人情を吐露します。
そうやって籐吉郎の人情も明らかにしながら、スポーツ漫画の「強者を仲間にする」という文法通りの作劇を行ったわけです。
ただ、当初「うまくいくんじゃないか」と目論んだラグビーのフォーメーションを参考に合戦を描く手法は、やってみるとうまくいきませんでした。サッカーなどを参考に考えたりもしたのですが、思ったようにあてはまらなかったのです。