なぜ歴史から忘れかけられていた武将「仙石権兵衛」を主人公にしたマンガが1000万部超売れたのか? 歴史マンガの定石は、“ちょうどいい匿名性”にあり?

編集部から「新作は歴史もので」とオファーがあり、当時のヒット路線ではなかった同ジャンルをどのような設定で書き始めるか苦心する漫画家・宮下英樹氏。そんなとき、ゲームの『信長の野望』を漫画化することを思いつき……。
『歴史知識ゼロの僕がどうやって18年間歴史マンガ『センゴク』を描き続けられたのか?』より一部抜粋、再構成してお届けする。

コンセプトは『信長の野望』のような漫画

2003年の暮れにデビュー作「ヤマト猛る!」の連載に区切りをつけた僕は、「30万部」売れる漫画を「3ヶ月以内」に連載開始するという大きな目標を掲げました。

時間的には相当追い詰められていたわけですが、限界まで追い詰められて、ようやくいいアイデアが浮かびました。

『信長の野望』のような漫画を仕立てるということ。

これだ! と思いました。『信長の野望』は、言わずと知れたコーエーテクモゲームスの歴史シミュレーションゲームの大ヒットシリーズ。あのような漫画体験をつくれたら最高に面白いじゃないか? 

僕自身も小学生くらいのときに『信長の野望 全国版』をプレイして以来、ずっとシリーズを追っていましたし、ああいう感じで漫画にもたくさんの武将を出せたら、すごい作品になりそうだ。

『信長の野望』を漫画化する、という新しいアイデアをひらめいたことで、歴史ものという群像劇の難しさを突破できそうな感触を得ました。

余談ですが、ウェブのインタビュー記事にもなっている『信長の野望』のプロデューサーであるシブサワ・コウさん(襟川陽一さん)のエピソードも紹介しましょう。

『信長の野望』のプロトタイプができあがって、シブサワさんが初のテストプレイ。何時間もテストプレイして、クリアし終えて大喜び。てっきり「良いゲームができた」から喜んだのだろうと思いきや、そうではなく純粋に「天下統一した」ということが心底嬉しくて、やったー! と声を上げたのだそうです。

プロデューサーという社会的な自我を完全に忘れて、一人のプレイヤーとして熱中しておられたわけです。そして、よくよく考えるとそれってすごいことです。

シブサワさんのお人柄もあるのでしょうが、そこまで心からのめり込めるというのは、やはりゲームの仕組みが非常に優れているからです。人を現実世界から引き剥がして、紙面や画面の中に没入させてしまうとんでもない力。そういう体験づくりというのが、ゲームであれ、漫画であれ、目指すべき作品の「理想」ですよね。

では『信長の野望』のどこがそんなに優れて面白いのでしょうか。それは「わかりやすさ」だと僕は考えました。全国の武将の動きが一覧でき、刻一刻と情勢が変化していく感じ。「××家は滅亡しました」という通知が流れてくるあの感じですね。

それに、武将の処遇や領地経営の各種コマンドのわかりやすさ。それぞれがきちんと数値化されていることもポイントでしょう。

映画やドラマの合戦シーンは「わーっ」とした合戦場を映し出しますが、複数の国の動きや意図が一覧的にわかるようにはなっていません。そのシーンだけをみて、戦国時代の歴史が大きくどちらに向かっているのかわかるようにはなっていない。

その点、『信長の野望』は実によく画面が設計され、戦の前後で情勢がどう変わったかが一目瞭然なのです。

『信長の野望』的なわかりやすさを追求するならば、と、いっときはコマのなかに「ゲーム的なコマンドや数値」を描いてしまおうかとも思いましたが、漫画的にはぎこちなさがある。

そこで「オープンワールドのシミュレーションゲーム」という方向性で作劇イメージを膨らませていきました。合戦場面になったら、背景や地図に武将のアイコンを並べてシミュレーションゲームの画面のように描くイメージですね。とくに連載初期の頃には、まだ歴史の勉強が浅かったこともあり、そのようなやり方で『信長の野望』への自分の欲求を満たすことになりました。

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なぜ「仙石権兵衛」が主人公として選ばれたのか

大きなコンセプトが決まったので、その次に考えたのは「主人公」を誰にするかということ。「仙石権兵衛」という主人公にいかにして辿り着いたのかということを振り返ります。

そもそも主人公選びは本当に難航しました。はじめは「桶狭間合戦」を眺めて戦国時代のすごさを知る若者、という主人公イメージを持っていましたが、うまく筆が乗らずにボツ。「山賊」という案も浮かびましたが、やはりうまくいかない。

そこで辿り着いたのが「仙石権兵衛」だったのですが、その主人公選択には多くの歴史ファンの方々がどよめいたとずいぶん後に知りました。その理由は、司馬遼太郎さんが仙石権兵衛にずいぶん厳しい評価をしていたからなのですね。

『播磨灘物語』や『夏草の賦』で「かなりまずい指揮をし、自己顕示欲も強かった」という解釈が示されており、司馬遼太郎さんご自身としても「嫌いな戦国武将」に真っ先に仙石権兵衛を挙げるほどであったそうです。

そんなマイナスイメージの強い武将で連載を開始するなんて無謀にすぎるんじゃないかと、多くの読者の方々が驚いた。

しかし舞台裏を明かしてしまえば、当時の僕は司馬遼太郎さんのエピソードを知らず、なにか逆張りをしたかったわけではありません。

では、どのようにして「仙石権兵衛」に辿り着いたかというと、編集の土屋さんが差し入れてくれた武器や防具の辞典や資料集のなかに「決め手」があったのです。

それはなんと『信長の野望』のデータブック!

どこまで『信長の野望』が好きなんだと笑われてしまいそうですが、この本には他の書籍にない良さがあります。なにしろ「データブック」ですから、各武将のステータスが数値で表現されている。

武将の強さが一目でわかるし、比較ができる。生没年などの最低限の情報がしっかり記載されており、武将の歩みをまとめた簡潔な紹介文も付いている。それでいて過剰な情報は載っていないから、後世の人物評を気にせずフラットな気持ちで武将たちを概観することができる。漫画の主人公選びにはもってこいの類い稀なる書物だったのです。

データブックをじっと眺めていくと、仙石権兵衛(仙石秀久)という人物にふと目が留まりました。信長や秀吉とも深い交流があったようだし、なにより長生きしている。戦国時代を股に掛けて活躍したのだろうから、主人公としても好都合である、と。