「ちょうどいい匿名性」がヒットの秘訣?
もしかしたらいけるのではないかと、さっそく、土屋さんに専門家の先生にアポを取ってもらい、ご指導いただけることになりました。それが歴史小説家の東郷隆先生でした。東郷先生は、右も左もわからない僕に「武将であれば家譜がある。仙石家にも家譜があるからそれを見てきてごらんなさい」と的確なアドバイスをくださいました。
仙石家の『改撰 仙石家譜』は江戸時代に成立したもので、一級史料としては見ることはできないとしても、まずはこれを、と親身になって教えてくださいました。東郷先生はその後も『センゴク』の作品づくりに長く関わってくださり、たくさんの教えをくださいました。
そうして知り得た『仙石家譜』の内容を追ってみると、権兵衛は、姉川の合戦で浅井方の山崎新平を一騎打ちにて討ち取ったとある! 特筆すべき一騎打ち。素晴らしく時代劇的な場面であり、漫画的にも盛り上がりそうだ、これならば行けるぞ。
……と、これが『センゴク』で仙石権兵衛を主人公にした舞台裏です。なんと、このときすでに連載開始まであと1ヶ月半くらい。切羽は詰まっていますが、ここにきて作品づくりがスピードアップしていくのを感じました。
ちなみにまた少し余談にもなりますが、仙石権兵衛を主人公に据えたことについて補足しておきます。
まず、その語呂の良さ。これはたしかに意識していました。「仙石=戦国」と捉えると、彼の「仙石」という名前は戦国時代を象徴するようなものです。権兵衛というのもありふれた名前ですから、幕末に置き換えれば「幕末太郎」みたいなものですね。漫画文法に照らしても「ちょうどいい匿名性」があってよいと思いました。匿名的な人物を主人公に据えると、読者も感情移入しやすい。
たとえばラブコメのジャンルでも、匿名の主人公を据えて、オムニバス的に様々な恋愛を描く原作・イタバシマサヒロさん、画・玉越博幸さんの作品『BOYS BE…』を超えるのはいつの時代もなかなか難しいのです。
何を隠そう僕もデビューするかしないかの若い頃、ラブコメを描こうとしてうまくいかなかったことがありました。そしてラブコメをやろうとすればするほど『BOYS BE…』が超えがたき壁と思えて、本当に悪戦苦闘しました。
主人公に匿名性があるということは、余分な設定がないということ。読み手にとっては自分のことのように感情移入しやすいし、描き手からしても自由な展開をやりやすい。匿名的な主人公というのは、それだけの漫画的な強みを持っていると思います。
文/宮下英樹
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歴史知識ゼロの僕がどうやって18年間歴史マンガ『センゴク』を描き続けられたのか?
宮下英樹
2024年7月24日1,540円(税込)新書判/320ページISBN: 978-4065363751連載開始時には無名に近かった武将・仙石権兵衛に「史上最も失敗し、挽回した武将」という鮮烈なスポットライトを当て、信長幼少期から秀吉の死、家康の台頭までの戦国時代史を総覧する歴史巨編漫画、宮下英樹の『センゴク』シリーズ。大ヒットとなったこのシリーズで、歴史学における通説を打破する新説を次々と採り入れ、青年誌における「歴史漫画」ジャンルの可能性を大きく切り拓いた宮下の連載開始前夜の歴史知識は、なんと「ゼロ」だった。そんな彼が、なぜ戦国時代というテーマを描き続けることができたのか? 初めて明らかにする歴史漫画作劇の極意を通じて、歴史とともに人生を歩むための秘訣をいま語り尽くす!