大森兄弟はその名の通り、兄弟で創作する小説家コンビである。文学界の狩人、あるいはブレッド&バターと呼びたい。

 本書は「桃太郎」を題材にした長編小説である。しかし、タイトルに反して、あまりおめでたい話ではない。全体にトーンは陰鬱で、時々諧謔(ユーモア)が入る。この暗さとギャグとのアンバランスな感じが絶妙だ。昔話のパロディだが、ファンタジーやメタフィクション的なところもあって、かなり野心的な文学作品である。

 桃太郎ならぬ桃次郎が鬼ヶ島で鬼を退治する。桃次郎は鬼たちを斬っては捨て、斬っては捨てる。犬と猿と雉もそれぞれ得意技を駆使して大活躍する。桃次郎は鬼たちが村人から奪った宝物を取り返し、鬼の大将、温羅の首を取って村に帰還する。物語の本番はここからである。

 桃次郎の屋敷には宝物の返却を望む村人が列をなしている。桃次郎は彼ら一人一人に事情聴取する。元の持ち主を確かめるためだ。

 返却を求めるのは変人ばかり。別れた亭主が身につけていた陣羽織を探す熊娘や、尻の大きな妻を描いたエロ絵画を探す男など。桃次郎の事情聴取があまりにも念入りなので、返却作業は一向に進まない。

 やがて妙な噂が流れる。桃次郎は宝物を独り占めして、持ち主に返すつもりがないのではないかというのである。疑心暗鬼が広まり、村人たちは苛立つ。桃次郎を川で拾って育てた爺さん婆さんもお手上げだ。

 昨日までは英雄として持ち上げていたのに、いまでは村人の怨嗟の的。これでは盗人が鬼から桃次郎に交替しただけではないか、というのである。現実にも似たような話はよくある。

 桃次郎は宝物を独り占めしたいのか。いや、なんだか様子が変。なんと温羅の生首に夢中なのだ。まるで生首を愛しているよう。生首に首ったけ。ここでオスカー・ワイルドの「サロメ」を連想する人もいるだろう。しかし現実の生首はだんだん腐っていく。臭いもひどい。

 桃次郎は刀剣の使い手であるだけでなく、不思議な力を持っている。怒ると額に目が開き、睨まれた者は石になってしまう。まるでギリシア神話のゴルゴンかメデューサか、手塚治虫の「三つ目がとおる」か。

 石にしてしまうプロセスも興味深い。対象は桃次郎の頭の中で「ひらがな」に変換され、やがて「いし」になるらしい。ゆえにこの第三の目は「稿眼」と呼ばれる。世界が原稿用紙化するということか(筆者はイタチと文房具の戦闘を描いた筒井康隆の「虚航船団」を連想する)。

 主君の奇行に家来の犬と猿と雉は困惑し、やがて疲弊していく。家来たちにも悩みは多い。犬は宝物に小便を掛けて回る。雉はなにもかもすぐ忘れてしまう。トリアタマなのである。猿は昔、柿をめぐって蟹に乱暴を働き、復讐された記憶が残る。さて、桃次郎と宝物はどうなるのか。結末は読んでのお楽しみ。

《「めでたし、めでたし大森兄弟・著/1980円(中央公論新社)》

永江朗(ながえ・あきら):書評家・コラムニスト 58年、北海道生まれ。洋書輸入販売会社に勤務したのち、「宝島」などの編集者・ライターを経て93年よりライターに専念。「ダ・ヴィンチ」をはじめ、多くのメディアで連載中。

【写真ギャラリー】大きなサイズで見る