「結婚」と「独身」どちらが現代社会においてリスクなのか? 歴史をさかのぼって考える日本の少子化・未婚化の問題点とは

独身、別居婚を推奨した僧侶

このようにゆるい日本の仏教界ですが、病気などで出家した人を除いても、出家後、ひとりみを貫いた人はもちろんたくさんいます。さまざまな男と性体験を重ね、妊娠出産を繰り返しながら、特定の人との結婚はせず、32歳になるころにはすでに出家していて、「ひとりみ」でした。

ひとりみ僧の凄い人たちとなると、弘法大師空海に伝教大師最澄、日蓮、道元、栄西……たくさんいすぎて、とても紹介しきれません。兼好法師もまた、ひとりみを貫いた僧侶であり、また、ひとりみであることを人に勧めてもいます。彼は著書の『徒然草』で、

〝妻(め)といふものこそ、男(をのこ)の持つまじきものなれ〞(第190段)

と書いており、「ひとりみ」主義者です。が、同じ段では、

〝よそながら、ときどき通ひ住まんこそ、年月へても絶えぬなからひともならめ〞

とあって、お互い自立した通い婚なら、男女の仲が長続きするとして、推奨してもいます。これは兼好法師の生きた南北朝時代、だんだんと同居婚が増加していたからかもしれません。

〝なに事も、古き世のみぞしたはしき〞(第22段)

と、昔を慕った彼のことですから、結婚も、男が女の家に通う、通い婚が基本だった平安時代(主要な妻に子が生まれると同居するケースも多いのですが)を理想とし、なつかしんでいた可能性もあります。いずれにしても全体的には、女とつき合うことがデフォルトであるかのような口ぶりです。
 
一方、同じ僧侶でも、妻帯を勧めた人もいます。

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「ひとりみ」リスクに警鐘を鳴らした僧

『沙石集』の著者の無住も出家者ですが、ある僧が、道行く人に「結婚」を勧めていたとして、こんなエピソードを紹介しています。

大和の松尾(まつのお)という山寺に住んでいた中蓮房(ちゅうれんぼう)という僧が、〝中風(ちゅうぶ)〞(脳出血·脳梗塞のあとで現れる半身不随の症状)になって、竜田の大路のほとりに小さな庵を結んでいた。

彼は、この大路を、山寺の僧たちが登るたびに、「御房は聖(ひじり)でおられるか」と尋ね、「聖」と答えると、「一刻も早く妻を持ちなさい。私は若い時から聖でしたが、弟子や門徒は数多いけれど、このような中風となって不自由な身になってからは、『そういう者がいる』とも、彼らは思い出しもしません。そのまま生活できなくなって……(中略)……さすがに命も捨てられず、道ばたで命をつないでいるのです。

妻子があれば、これほど情けないことにはならなかったと思います。少しでも若い時に妻を持ちなさい。長年連れ添えば、夫婦の情けも深まるでしょう。こんな病に、自分は絶対かからないとは思うべきではありません」そんなふうに勧めたといいます(巻第四ノ九。本によっては巻第四ノ四)。

この僧は、ひとりみでいることのリスクに警鐘を鳴らしているわけです。
 
もっともこの話を紹介した無住は、その直後の話で、40歳の尼(本によっては30歳)と同棲して殺されかけた70の老僧の実話を紹介し、「こうしたことを考えると、さっきの〝中風者〞の勧めにもむやみに従うべきではない。どんな悪縁や思いがけない災難にも、あわないという保障はない。よくよく物事を汲み取って考えるべきだ」と、結婚のリスクをも説いています(巻第四ノ十。本によっては巻第四ノ六)。

確かに、結婚には配偶者や子、さらには姻戚による「DV」や「モラハラ」等々、さまざまなリスクがつきものです。むしろ「ひとりみ」のほうが、リスクは少ないとすら言えます。