人気を奪われていたエルヴィスと人気絶頂期のビートルズの歴史的会談の夜…ジョン・レノンが放った衝撃の一言「どうして最近はやわなバラードばかりなんですか?」

今から59年前の8月27日、エルヴィス・プレスリーとビートルズの4人のメンバーとで最初にして最後の面会があった。ロックの2大巨頭が一堂に会した夜、夢のようなスターの会談で緊張が走る瞬間があった。

エルヴィスとビートルズの世代交代が起きていた1965年

「史上最も成功したソロ・アーティスト」とギネスに認定されたエルヴィス・プレスリー。

「史上最も成功したグループ・アーティスト」とギネスに認定されたビートルズ。

新旧を代表するスーパースター同士による面会が実現したのは、1965年8月27日のことだった。

この年の夏、ビートルズは全米ツアーの真っ最中だった。8月15日にはニューヨークのシェア・スタジアムでコンサートを開催し、5万6千人という当時としては前人未到の動員数を記録している。母国イギリスのみならず、アメリカにおいてもビートルズの人気は圧倒的だった。

一方のエルヴィスは人気絶頂だった1958年に徴兵され、2年後に除隊してからはステージを離れてハリウッドの世界に活動の場を移し、スクリーンの向こう側のスターとなっていた。しかも作品の質的な低下とマンネリ化によって、エルヴィスの映画からは精彩が失われつつあった。サウンドトラックのアルバムからは、大きなヒット曲は出なくなってしまった。

そこへイギリスからビートルズが登場してブレイクし、1964年から65年にかけて世代交代のようにアメリカのヒットチャートを席巻した。エルヴィスは自分のフォロワーが登場してきたことを喜ぶと同時に、初めて現れた強力なライバルとして脅威とも感じていたようだ。

ビートルズを乗せたリムジンが、ロサンゼルスにあるエルヴィス邸に到着したのは夜の10時頃。極秘での面会だったにも関わらず、門の前には数百人のファンが集まっていたが、警察による厳重な警備が敷かれていたこともあり、スムーズに事は進んでいった。

円形のリビングルームへと招き入れられたビートルズの4人は、ひどく緊張していた。彼らにとってエルヴィスは最大のアイドルだったからだ。中でもジョン・レノンは『ハートブレイク・ホテル』を初めて聴いたときに、「世界が変わってしまった」ほどの衝撃を受けたという。

彼らはスタジオアルバムでこそエルヴィスのナンバーをカバーしていないが、デビュー前は何十曲もレパートリーに入れていた。

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「君たちがただ座って僕を見ているだけなら、僕は寝てしまうよ」

エルヴィスは音の出ていない大型のカラーテレビを眺めながら、ソファーに座ってベースを弾いていた。顔を合わせた彼らは、取り巻きも含めて自己紹介をすませたが、その後はなかなか会話が続かず、しばし沈黙が流れるのだった。

やがてエルヴィスが「君たちがただ座って僕を見ているだけなら、僕は寝てしまうよ」と言って笑うと、「それならちょっと楽器を弾いたり歌ったりしてみようか?」と提案した。

そうして楽器が用意されてセッションが始まると、ようやく緊張の糸も切れていった。エルヴィスはギターでなく、練習中だというベースを手にしていたので、ポール・マッカートニーはここぞとばかり話しかけた。

「彼がベースにハマっているのはこの上なく嬉しかったよ。それで『僕にもちょっと弾かせてもらえないかな、エル…』って声をかけたんだ。その瞬間、仲間になれたんだ」

ジョン・レノンによれば、最初に演奏したのはシラ・ブラックの『ユー・アー・マイ・ワールド』だったという。頭を悩ませながら言葉を選んで話すより、音楽を演奏したほうが余計な気遣いをせずに、コミュニケーションができたのである。

1時間ほどが過ぎた頃、彼らはセッションを終えてトークに戻った。さきほどまでとは違い、今度は互いのツアーでのエピソードや、飛行機で移動することに対する不安、車のことなど色々なことを話した。

気がつけば時刻は深夜の2時となり、4時間に及んだ面会はお開きとなった。