「小さいころ車いすを速く漕ぐと、危ないと怒られた」車いすラグビーの若きエース、橋本勝也の競技との出会い「死ぬまでやれるとピンときた」

自分を変えた東京での悔しさ

競技を始めてわずか2年で日本代表に選出された。その後19歳で迎えた2021年の東京パラリンピックでチームは銅メダルに沸いた。しかし出場時間はチームで一番短く、自分のプレーに納得できないまま終わった。

その時、同じハイポインターで主力として活躍した池崎大輔は橋本の胸のうちをわかっていた。「『お前、悔しかっただろう。俺らは勝也に期待をしている。勝也にはそれだけのポテンシャルがあるから、俺らは待ってるから這い上がって来いよ』って言われました」

「思い起こせば、自分がどういうふうに考えてプレーしてたかっていう記憶が、あんまりないんですよ。部活の経験もないし、まわりの選手は年上で、コミュニケーションも自分から取れなかった。観客の前で試合することも慣れていなくて、頭が真っ白になりながらずっと来たというか」

だが池崎のこの言葉は頭から離れない。「今も覚えてます。もうその言葉を思い浮かべただけで、すげえ涙が出てきそうになるんです」。当時の悔しさがよみがえる。「刺さりました。自分自身に対する甘さをすごい感じて。意識もトレーニングメニューも一新しました。あの言葉がなかったら、今の自分はいないんじゃないかな」

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世界一のプレーヤーになりたい

世界一のプレーヤーになるために必要なことを改めて考え抜いた。「1つ1つの大会に対して、目標を持ってプレーをすること。大会後には、新たに生まれた課題や改善点を自分なりに考えて、新たにトレーニングに向き合うこと。その繰り返しです」

目標を掲げるのは競技面だけではない。「尊敬するキャプテンの池(透暢)さんのように、何かあったらいつでも頼れるような、コートの外でもみんながついてきてくれるような人間になりたい。いいところを学んでいきたいですね。いつか先輩たちに『安心して引退できるよ』、『勝也に日本を任せられるよ』と思ってもらえるようにがんばりたいです」