『天空の城ラピュタ』の悪役「ムスカ大佐」は、ラピュタ帝国を再興して世界征服を目指します。でも、よくよく考えてみるとその理由がよく分かりません。
いかにも悪だくみをしていそうな表情のムスカ大佐。画像は『天空の城ラピュタ』の場面カット (C)1986 Studio Ghibli
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「世界征服」の先に何がある?
宮崎駿作品において、分かりやすい悪役というのは、実はあまり多くありません。
『風の谷のナウシカ』に登場するトルメキア王国の皇女「クシャナ」は、蟲(むし)から世界を取り戻すために腐海を焼き払おうとして「ナウシカ」と対立しますが、それは彼女なりの理念によるものです。
『紅の豚』に登場する空賊の「マンマユート団」は、「ポルコ・ロッソ」と仲良くケンカするライバルといったところでしょうか。『千と千尋の神隠し』の「湯婆婆」も恐ろしい魔女ではありますが、ちゃめっ気のある、どこか憎めないキャラクターとして描かれています。
おそらく宮崎駿監督は、ある時期から明確な悪役を描くことを放棄したのでしょう。善とも悪とも割り切れないキャラクターを配置することで、世界の複雑さを強調して描かれるようになりました。
TVシリーズ『未来少年コナン』の「レプカ」、『ルパン三世 カリオストロの城』の「カリオストロ伯爵」など、分かりやすい悪役は初期作品に限られています。ひょっとしたら、『天空の城ラピュタ』に登場する「ムスカ」が、宮崎作品における最後の悪役かもしれません。
「アーハッハ、見ろ、人がゴミのようだ!! ハッハッハッハ!」というセリフでも明白なように、ムスカは分かりやすく「最低」「最悪」な人物です。「君のアホづらには、心底うんざりさせられる。死ねー!」という絶叫とともにボタンを押して、開いた床から軍隊たちが真っ逆さまに転落していくさまは、阿鼻叫喚の図といっていいでしょう。
そして、ここでひとつの疑問が生じます。そもそもムスカは何がしたかったのでしょうか? 彼の本当の名前は「ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ」で、「シータ」と同じくラピュタ王家の血を引いていました。その身を隠して情報部員として暗躍し、ラピュタ帝国を再興させようとしていたのです。
ここが、よく分かりません。「全世界は再び、ラピュタの元にひれ伏すことになるだろう!」と言っているくらいですから、彼は独裁者として全世界を統治しようとしていたのでしょう。ですが、それによって何を得ようとしていたのでしょうか? 愛する女性のためでもなく、莫大な富でもなく、人に尊敬されたいわけでもありません(空中に浮かぶ巨大都市に、独りっきりでいようとしていたくらいですから)。
逆にいえば、「特に理由はないけれど、世界征服できるなら世界征服しちゃおー!」という無邪気な発想が、とても悪役っぽいともいえます。そこに人を納得させる理由が存在してしまうと、『風の谷のナウシカ』におけるクシャナのように、善とも悪とも割り切れないキャラクターになってしまうからです。
あるテーゼがあって、それに対立するアンチテーゼが立てられて、その狭間で主役が揺れ動く物語こそが、90年代以降宮崎駿監督が紡いできた映画の方向性といえます。シンプルに世界征服を目指す悪役がムスカで打ち止めになってしまったのは、必然の結果だったのでしょう。