国の命運を賭けた世紀のマジック対決!

1850年代に入り、フランス領のアルジェリアで、イスラム教の一派である「聖者崇拝思想(マラブーティズム)」が勢力を拡大し、力を強めていました。

彼らのトップたちは自らをマラブー(聖者)と名乗り、人々に大道芸的な奇術を見せることで大衆を扇動し、フランスに対して「反旗を翻そう!」と武装蜂起寸前の状態になっていたのです。

例えばマラブーたちは衣服に火をつけても燃えない奇術を見せていたといいます。

これを受けて、フランス政府は軍事的に制圧するのではなく、マラブーの奇術が見劣りするような腕前を持つマジシャンを送り込んで、マジック対決をさせようと考えました。

そこで白羽の矢が立ったのがウーダンだったのです。


後年のウーダン / Credit: commons.wikimedia

ウーダンは1856年に単身アルジェリアに渡り、マラブーの有力者や一般民衆が集まる中でマジックを披露しました。

このとき披露したマジックの一つが「重さの変わる箱」でした。

彼は観客の一人をステージ上に招き、取手の付いた箱を持ち上げさせます。

次に「この人物の力を弱らせます」と言って魔法をかけると、今度は箱がびくともしなくなるというものです。

これは箱の中に仕込んだ電磁石を使ったトリックであり、遠隔操作によって箱を重くすることができました。

電磁石の知識などない観客たちはウーダンを「超自然的な力の持ち主だ」と信じ込んだといいます。


ウーダンが行った機械人形を使ったマジック / Credit: commons.wikimedia

これに屈辱を受けたマラブーの一人が「ヤツは詐欺師だ!」と非難し、ウーダンに銃を使った決闘を申し込みました。

しかしウーダンは動揺の色を見せることもなく、この申し出を快諾。

そして翌日、人々が見守る中、ウーダンはマラブーの放った弾丸を「歯で咥えて受け止める」という驚愕のパフォーマンスを見せたのです。

当然ながらこれもウーダンのトリック。彼は事前に決闘用の弾をニセの弾丸にすり替えていたのです。

これにはマラブーたちも完全にお手上げで、フランス政府の目論見通り、彼らに敗北感を与えることに成功しました。

アルジェリアの大衆もウーダンの超常的な力を認め、マラブーへの関心が薄れていきます。

こうして影響力が急落したマラブーたちは武装蜂起を断念。世紀のマジック対決はウーダンの完全勝利で幕を閉じました。


ウーダンの記念プレート / Credit: commons.wikimedia

ウーダンはその後、外国を旅したり、自叙伝を書くなどして余生を過ごしたのち、1871年6月13日にパリ郊外の別荘で肺炎により亡くなっています。

65年の生涯でした。

ウーダンは生前に「マジシャンとは魔法使いを演じる役者である」という言葉を残しています。

この言葉は「マジックパフォーマンスにはトリックだけでなく、舞台演出や演技力、芸術性が大切である」ことを教える名言として、後世のマジシャンたちに多大な影響を及ぼしたのです。

参考文献

How Robert-Houdin Used Magic to Aid the French Government
https://www.ancient-origins.net/history-famous-people/jean-eugene-robert-houdin-father-modern-magic-who-stopped-revolt-his-abilities-020786

ライター

大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。
他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。
趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。

編集者

海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。