「ふたり酒」や「二輪草」などのミリオンヒットで知られる川中美幸(68)。デビュー50年を越えてもなお、衰えを知らないそのパワフルな歌声を保つ秘訣に加え、みずから開発した「ささやき歌唱」を直撃!
「私は、中学校の2年生の頃から歌手になるために、プロの先生のもとでトレーニングを始めたんです。元々、小さい頃から親戚の人達に『歌が、お上手ね』なんて言われてましたたから、何となく『私は歌が上手なんだ』と思っていたんですが、プロの世界はやっぱり違いましたね。発声方法や歌詞の理解とか。『ここは、あんまり思い切り歌わない方が人の心に響くよ』なんて、ほんとに伝わる歌い方を緻密に学んでいきました。若い人や、声にパワーがある人って、思いっきり歌っちゃうでしょ? それだけじゃなく、ちゃんと歌詞の意味に合わせて歌うっていう感じかな」
73年、春日はるみの芸名でデビューするも泣かず飛ばず‥‥。77年、現在の川中美幸の名前で再デビュー後、5曲目となる「ふたり酒」が大ヒットし、歌い方にも変化が現れたとか。
「正直に言うと、最初は『ふたり酒』を歌うことが嫌だったんです(笑)。しみじみした夫婦の歌でしたから、こりゃ売れないなって。なかなか気持ちも乗れなかったんですが、もしかすると、この歌詞は作詞家のたかたかし先生が私の両親を思って作ってくれんじゃないかって。苦労に苦労を重ねた両親ですから、その2人を思いながら歌うようにすると気持ちがピタッとハマって。歌の内容もアットホームで聞きやすかったので、ちょうどカラオケブームに乗って、あれよあれよと言う間に、色々な方に聴いていただけるようになりました。この歌はね、演歌のような歌い方より、鼻歌を意識するとうまく歌えると思うんですよ。気負わずに、口ずさむ感じで軽く歌えば、この曲のよさがちゃんと伝わって盛り上がると思います。私もこの曲から、全力投球じゃなく、肩の力を抜いて歌えるようになりましたね」
98年。小室ファミリーが席捲していたオリコンにランクし、最終的にミリオンセラーを記録したのが「二輪草」だった。この曲を歌う時のポイントは、「隣の人にささやくように歌う」ことだった。
「当時は、Jポップが全盛でしょ。だから、テレビの歌謡祭なんかに行くと、小室哲哉さんがプロデュースした方々がたくさんいらして。私はここにいてもいいのかな? っていつも思っていたことを覚えていますね。
この曲は、夫婦間の『お前』と『アンタ』の世界ですから。ほんとに、隣にいる大切な人に、そっと囁くように歌うのがいいと思うんです。歌っているというより、語りかけるというか。それぐらい、声を抑えてささやく。そうすると、スッと歌詞の意味が入ってきて、歌う方も聴く方も気持ちよくなると思いますね」
デビューから50年を越えた今も、その明るい美声を保つために日々のトレーニングを欠かさないという川中。また、年齢を重ねるからこそ、深まる魅力もあると話す。
「声帯も筋肉ですから、年齢と共に衰えるのは当然のことです。だから、歌声を保つために毎朝のストレッチは欠かしません。例えば、14時にコンサートが始まるなら、最低でも朝8時には起きて、体も声も慣らしておく。お風呂に入って、加湿された空間で少し声を出してみたりね。そうやって徐々に、声を出せる状態に持っていくんです。いまだにその習慣だけは続けていますね。あと、お酒を飲む時は歌わないですね。声帯を傷めてポリープになっちゃいますから。
でも、年を取って声量が落ちてきても残念だなんて思わなくてもいいですよ。色々な経験を重ねたからこそ、歌詞の意味を理解できて、気持ちを乗せて歌うことができる。それが、上手に歌う一番大事なコツですから」
川中美幸:55年大阪生まれ。80年に発表した「ふたり酒」がミリオンセラーを記録。98年には「二輪草」で2曲目となるミリオンセラーを達成。デビュー50年を越えた今も、精力的に楽曲を発表し、今年2月にリリースした79枚目のシングル「横浜トワイライト〜想い出は美しく〜」も絶賛発売中だ。