聖徳太子、福沢諭吉に続く「一万円札の顔」として脚光を浴びている渋沢栄一については、最近いろんな形でその人物像が語られているから、ご存知の方も多かろう。「前任」の福沢が教育者、思想家として教育、学術面で明治日本を背負ったのに対し、渋沢は創業者、経営者の立場で経済面をリードして「日本資本主義の父」と称される。
明治政府の初期の経済政策を一手に引き受け、貨幣、銀行、株式などの制度で近代的経済システムを確立させた後、今度は民間の側で経営活動を始める。銀行設立を皮切りに、あらゆる分野の企業創設に関わった。
その源流は、1866年に江戸幕府が派遣した欧州訪問使節団の一員となり、ヨーロッパ諸国を視察した体験にあると聞けば、誰しも、その2年余りに及ぶ旅の様子を知りたくなるではないか。渋沢自身が、同行の杉浦譲と共に著した旅行記を、現代語訳で読ませてくれる本書には、日本の近代経済が誕生するきっかけが秘められている。「航西」とは、西洋へ船で渡航したという意味なのである。
来年は大阪で開かれる万国博が、この時はパリで開かれていた。初参加の日本の展示では蒔絵、漆器、着物姿の女性たちの茶店が人気だったそうだが、渋沢の目は欧州各国の最新文明が並ぶ方へと向けられる。医療器具、電信機、織機の精密さに驚嘆するだけでなく、各国の貨幣を集めたコーナーに注目しているのは、いかにも彼らしい。
そして博覧会の最中にもパリ市内の浄水場を見学し、各家庭へ繫がる水道の仕組みを、地下にある水道管まで細かく検分している。決してお祭り気分になんぞなっていない。常に、それらの最新技術を日本へ取り入れることばかり考えているのである。
イギリスでは、国会議事堂をはじめ、世界最古の日刊新聞であるタイムズや中央銀行であるバンク・オブ・イングランドを訪れ、議会政治、新聞発行、貨幣鋳造の現場を直視している。他にもスイス、オランダ、ベルギー、イタリアを歴訪し見聞を広めた。
これに先立ち、香港、ベトナム、シンガポール、コロンボ、中東と進む往路の船旅では、欧州先進国の植民地となったアジア諸国のみじめな状況に接し、こうなってはならない、と近代国家建設への思いを強めたに違いない。
一方で、この旅行記を読む現代のわれわれとしては、景色、文化、風俗、生活の描写を通して150年以上前の世界旅行を楽しむことができる。また、付録についている渋沢の自叙伝の一部は、滞在中のパリで大政奉還が行われた報せを受け、使節団のトップである将軍徳川慶喜の弟君を守りつつ、どう対応するか苦悩するサスペンス的展開が実に面白く、幕末秘話の趣きもあって興味は尽きない。
《「航西日記 パリ万国博見聞録 現代語訳」渋沢栄一・杉浦譲・著 大江志乃夫・訳/924円(講談社学術文庫)》
寺脇研(てらわき・けん)52年福岡県生まれ。映画評論家、京都芸術大学客員教授。東大法学部卒。75年文部省入省。職業教育課長、広島県教育長、大臣官房審議官などを経て06年退官。「ロマンポルノの時代」「昭和アイドル映画の時代」、共著で「これからの日本、これからの教育」「この国の『公共』はどこへゆく」「教育鼎談 子どもたちの未来のために」など著書多数。