スーパー戦隊シリーズ第2弾の1977年『ジャッカー電撃隊』は、原作者である石ノ森章太郎先生の作家性を重視した前作『秘密戦隊ゴレンジャー』とは真逆のリアル路線を追求し、全員サイボーグというシリアスな設定になりました。しかし、『ゴレンジャー』に慣れた視聴者にとって、受け入れづらい面もあったようです。



「ジャッカー電撃隊」DVD1巻(東映)

【画像】え…っ? こんな美女がオトナ向けな恋愛模様を? これがスペードエースと恋仲になった「ハートクイン」のカレン水木です(3枚)

本格的なサイボーグドラマが実現した可能性も?

 1975年に放送された『秘密戦隊ゴレンジャー』から、間もなく50周年を迎えるスーパー戦隊シリーズは、50年間継続されてきたのではなく、一時中断していた時期がありました。中断のきっかけとなったのが1977年の第2弾『ジャッカー電撃隊』でした。

「『ゴレンジャー』とはひと味違ったものを」という発想から生まれた本作は、原作の石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)先生の作家性を色濃く反映する作品になりました。しかし、シリアス路線は『ゴレンジャー』に親しんできた視聴者にウケず打ち切りとなり、「スーパー戦隊」シリーズは一時的に途絶えてしまいます。

『ゴレンジャー』大ヒットの理由は、ひと言で言うと「明るさ」です。『仮面ライダー』や「人造人間キカイダー」シリーズにあった、決して普通の人間として生きていけないヒーローの悲愴感や悪の組織の恐さを排除しています。

 普通の人間が強化スーツを着て戦う『ゴレンジャー』は、子供たちの身近な存在になりました。また、悪の組織「黒十字軍」の怪人は「カミソリ仮面」や「鉄グシ仮面」など、ユニークなキャラクターで親しみがあります。

「スーパー戦隊Official MooK 20世紀 1977年 ジャッカー電撃隊」(講談社)のインタビューによると、当時の東映のプロデューサー、吉川進氏は、放送局サイドから『ゴレンジャー』の成功によって同じような集団ヒーローものの要請を受け、「当時の私には『まったく同じようなものを続けてもなぁ』という気持ちもあったんです。ですから、『後番組は「ゴレンジャー」とは一味違うよ』といったテイストのものを石ノ森先生と詰めていったんです」と語っています。

 そして、本作はメンバー全員がサイボーグという設定になりました。それぞれが死亡したり、大けがをしたりしたことをきっかけに改造手術を受け、普通の人間には戻れない宿命を背負います。『サイボーグ009』や『仮面ライダー』が持つ悲愴感があるヒーローに逆戻りし、『ゴレンジャー』よりもリアル路線のテイストになったのです。

 もともと1971年から放送された『仮面ライダー』も、最初から人気だったワケではありません。怪奇色が強く、主人公「本郷猛」の改造人間であるがゆえの悲劇性が強調された1クール目は、作品としての評価は高くても、子供受けする内容ではなかったのです。

 人気が爆発したのは、「ライダー2号」である「一文字隼人」が登場する2クール目からでした。改造人間の悲愴感が一掃され、明るいスカッとした作風となって、「変身ブーム」を巻き起こしたのは、ご存じの通りです。

 初期の「仮面ライダー1号」が走らせた「サイクロン号」でベルトの風車が回って変身するように、『ジャッカー電撃隊』では「強化カプセル」に入ることで変身します。

 敵も「国際犯罪組織クライム」の名前の通り、銀行や金塊の保管場所を襲撃するなど、現実にも起きそうな犯罪計画を実行し、「ジャッカー」は刑事ドラマさながらに捜査に乗り出します。敵の怪人「機械怪物」も、「デビルマイト」など『ゴレンジャー』の愛嬌のある「仮面怪人」と違ってリアルなものになりました。



「スーパー戦隊 Official Mook 20世紀 1977 ジャッカー電撃隊」(講談社)

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初代『仮面ライダー』から数年で時代の空気はガラッと変わっていた

 また、「キレンジャー」のようなコメディメーカーがいないのも、人気低迷の原因のひとつだったかもしれません。そのうえリーダー「桜井五郎/スペードエース」と紅一点「カレン水木/ハートクイン」のメンバー同士の恋愛も、子供たちはピンとこなかったようです。『ジャッカー』は実写版『サイボーグ009』をイメージして作られたものの、制作意図が裏目に出て、子供たちにそっぽ向かれてしまいました。

『ウルトラマンVS仮面ライダー』(文春文庫)に収録された石ノ森章太郎先生のインタビューによると、石ノ森先生は「何が『新しい』のかということなんだけど、今までスポットがあたっていない部分から、ヒーローを掘り出していくよりしょうがない。そうすると、僕らにとって未開拓の部分は、暗いヒーローというか、誰もそういうヒーローを作っていなかった。(中略)僕の中にある人間の陰の部分をもっと直視しなきゃいけないみたいのがあって、つまり陰の部分を描かないことには生身の人間を描くことにはならんだろうという発想につながっていくんだと思う。『ミュータント・サブ』も『サイボーグ009』もそう」と、自らの作品観について語っています。

 石ノ森先生が真剣に作品に向き合えば向き合うほど、当時の明るく楽しいものを求めていた視聴者のニーズとズレていたのは否めません。視聴率は低迷し、路線変更を余儀なくされました。怪人をコミカルにしたり、必殺技に野球の要素を取り入れたりなど、『ゴレンジャー』に近付いていきます。23話から変装の名人である「番場壮吉/行動隊長ビッグワン」やコメディメーカーの「姫玉三郎」など、明るく楽しい要素を取り入れましたが、時すでに遅く、視聴率回復は見込めず番組は35話で終了します。

 その後、1979年『バトルフィーバーJ』が放送されるまで、スーパー戦隊シリーズは約1年間も休止することになり、石ノ森先生はスーパー戦隊の原作から離れました。しかし、石ノ森先生の作品が視聴者に受け入れられなくなったワケではなく、その後も「レッドビッキーズ」シリーズや『燃えろアタック』といった東映制作の原作を担当しています。

 時代は超人的な能力を持った孤高のヒーローから、等身大の主人公が失敗をしながら奮闘する、身近な内容の作品が受け入れられる時代になっていました。『仮面ライダー』が大ヒットした1970年代前半と『ジャッカー』が放送された1977年では、時代の空気がガラッと変わっていたのです。

 制作された時代が合っていれば、『ジャッカー』は路線変更することなく、石ノ森先生の狙い通りに、最終回までリアルなドラマを展開できていたかもしれません。