複雑な軌道を持つローレンツ・アトラクタ / Credit:Wikipedia Commons
カオスは日本語では混沌と訳されます。
この言葉自体はしばしばネットスラング的に意味不明であったり、めちゃくちゃで理解できないさまを指して使われたりもします。
ところで皆さんは、科学的なカオス現象の特性や持つ意味までご存知でしょうか?
実は、この現象は天気予報など私達の身近な生活と密接な関係を持っているのです。
この記事では何が起こるかを予測できない複雑さを持つ、カオス現象について解説します。
目次
カオス現象は、なぜ「予測できない」のかバタフライ効果と天気予報パイを作るとカオスが現れる?
カオス現象は、なぜ「予測できない」のか
カオス現象とは、一言で表せば「何が起こるか予測できない」現象です。
この部分を、科学史と共にもう少し具体的に紐解いていきます。
アイザック・ニュートンの肖像 / Credit:Wikipedia Commons
1687年にアイザック・ニュートンは著書『自然哲学の数学的諸原理』において運動の第2法則を発表しました。
運動の第2法則は以下のような主張でした。
物体の運動状態の時間変化が、物体に作用する力に比例する
物体の運動状態の時間変化が、物体に作用する方向と同じになる
この法則からニュートンの運動方程式が導かれるため、高校で物理を習った人は、$$mboldsymbol{a}=boldsymbol{F}$$という式の形でこの法則を知っているかもしれません。
この運動方程式の出現によって斜面を転がる石や空から降ってくる雨などの自然現象、さらには天体の動きまでも説明できるようになりました。
もはや運動方程式によって、この世の全てが説明できるのではないかとさえ思えてしまうかもしれません。
実際こうした中、「一番最初の状態とそれが時間の変化でどのように変わるかを記述する法則さえ得られれば、あらゆる未来の状態が予測できる」という考え方が現れました。
これを決定論と言います。
決定論的な世界観では、どんな複雑な事象でもその事象を記述する式が解明されれば必ず未来の状態を予測できるようになる、と考えられていました。
もし本当にそうであれば、世界の様々な問題は今よりもずっと少なくなっていたでしょう。
もちろんそんなに事は上手く行きませんでした。
その後決定論的な見通しを否定するような事象が次々と現れたのです。
カオス現象もその一つでした。
カオス現象とはその名の通り非常に混沌とした現象を指します。
「混沌とした現象」とは、考慮するべき要因があまりに多く、しかもそれらが非常に複雑な振る舞いをするため、数学的に記述することが困難な現象のことです。
例えば1つのボールならその運動を単純な式で記述でき、簡単に解くこともできるため未来の状態を予想できます。
しかし大気や液体は大量の粒子の集団なので、その動きを予測しようとした場合、含まれる粒子それぞれの及ぼす影響を考慮しなければなりません。
これを式にして解こうとすると、一気に難易度が跳ね上がってしまいます。
とはいえ、カオス現象を見せる全ての式そのものが複雑というわけではありません。
中には簡単な式で振る舞いを記述できるものもあります。
しかし、ある程度の時間が経ったあとの振る舞いが極めて複雑になってしまうと、もはや解けない式となってしまい予測不能であると表現されます。
そのわかりやすい一例が、ロジスティック写像です。
ロジスティック写像はイギリスの数理生物学者であるロバート・メイの研究を発端にして、生物の個体数が世代を経て変化していく様子を表す式として世に広まりました。
これは次の二次関数で簡単に表すことができます。
$$y=ax(1-x)$$
これはある世代における個体数を(x)、繁殖率(a)をとして次の世代の個体数(y)を表す式になっています。
まず定数(a)と変数(x)の値を適当に決めると、この式から(y)の値を得ることができます。
この(y)を新しく(x)として用いると、また新たな(y)を得ることができます。
これを繰り返すと、(a)が3以下の場合はある値に収束します。
(a)の値を3以上、そして段々と大きくして同じことをすると面白い現象が起こります。
下の図は、(a)(図中では(r))を変えたときに、操作の繰り返しによってどのような値(縦軸)に収束するかを示したグラフです。
繁殖率a(図中ではr)がファイゲンバウム点を超えると挙動が複雑になる / Credit:Wikipedia Commons
(a)が3を超えると、まず一つの値に収束しなくなり複数の値を交互に取るようになります。
そして(a)が3.56995を超えると(y)の最終的に取る値が極めて複雑になり規則性が見られなくなるのです。
この境界値3.56995はファイゲンバウム点と呼ばれています。
このように、カオス現象における予測できないというのはランダムであるという意味ではありません。
ロジスティック写像のように関係式は非常に単純でも、ある(a)における未来の(y)の値を書き表すことは非常に困難です。
この複雑さを指して、予測できないという表現をしているのです。
そうは言っても、近似値で良いから具体的な値が欲しいことも実用上はあります。
その場合はコンピュータによる数値解析が行われるのが一般的です。
しかし、今見たように(a)がファイゲンバウム点を超えたあとは(a)をごくわずかに変えただけでも未来の(y)の値には大きな変化が生じます。
そしてコンピュータといえども無限の桁数を扱えるわけではないため、真の値とは必然的に誤差が生まれます。
さらにその誤差は計算を繰り返せばどんどんと増幅されていきます。
その結果得られる値は、もはや真の値からはかけ離れたものになっているでしょう。
こうした理由により、予測は事実上不可能になるのです。
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バタフライ効果と天気予報
カオス現象の持つ「ある物理的な対象にわずかな変化を与えると、その後の状態が大きく異なり予測できない現象を見せる」という特性はバタフライ効果という名前で呼ばれることもあります。
この単語は様々な漫画やアニメ、映画などで使われているため聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
エドワード・ローレンツの肖像 / Credit:Wikipedia Commons
このバタフライ効果という表現は、気象学者のエドワード・ローレンツが1972年にアメリカ科学振興協会で行った講演のタイトルに用いられた「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」という表現に由来すると考えられています。
ここでいう蝶の羽ばたきは小さな変化、すなわち初期値のわずかな差を意味しています。
そんな僅かな初期値の差が、ブラジルから遠く離れたテキサスで竜巻を起こしてしまうかもしれない。
これはあくまで極端な例題ですが、蝶の羽ばたきからは想像できないような大きな影響が生じるかもしれない、というカオス現象を考えることの難しさを「バタフライ効果」は簡潔に表現していたため、世界的に有名な用語になりました。
バタフライ効果はローレンツが気象学者であったことからも分かるように、元々は天気予報という日常生活に馴染みのある分野の予測不可能性を説明するために生まれた言葉です。
天気予報では流体力学の運動方程式をモデル化することで予測を行っています。
ところがこの運動方程式の解はカオスの性質を持っており、ローレンツが主張した通り決定論的に未来を見通すことは不可能でした。
運動方程式の厳密な解を求めるための初期値やモデルが分からないだけでなく、誤差がどれほど大きくなるかも予測が難しく、事前に知ることはできません。
しかしそうはいっても、現在の天気予報は数日程度であればかなり正確に行うことができます。
いかにして人類はこれを実現させたのでしょうか?
現在の天気予報では「アンサンブル(集団)予報」という手法を利用しています。
この手法では、まずある時刻に少しずつ異なる初期値を多数用意するなどして多数の予報を行います。
それらを用いて、平均やばらつきの程度といった統計的に情報を得ることにより気象現象の発生を確率的に捉えることが可能となります。
こうすることにより予測の信頼性を事前に推定できるようになりますし、複数のデータを用いることにより可能性のあるシナリオを複数予測することも可能になります。
現在は予報する期間や用途によって様々な予報システムを使い分けています。
下図は、2018年8月4日9時を初期値とした台風第13号の進路の5日予報です。
2018年8月4日9時を初期値とした台風第13号の進路の5日予報 / Credit:気象庁
黒色の線が実際に台風が通った進路で、橙色の線は初期値を様々に変えて誤差を考慮した予測です。
また青色の線は初期値に含まれる誤差を考慮しなかった場合の予測となっています。
橙色の線と黒色の線を見比べると、実際の進路が予測のばらつきの範囲内に含まれていることがわかります。
初期状態のわずかな違いで時間とともに台風の取る可能性のある進路が広がっていきます。
しかし、これらのデータを複数集めて統計的に扱うことで、予測が当たる可能性を上げているのです。