2023年に甲子園を優勝した慶應義塾高校野球部でも取り入れられた「アスリート・センタード・コーチング」とは? 世界的に注目されている日本武道の「守破離(しゅはり)」との共通点

仲間と鍛錬して壁を破る

先生から学んだ基本を反復する。先生や先輩の指導を受ける。そして仲間と一緒に稽古していく。守破離の「破」は、仲間との稽古の段階です。

野球やサッカーはチームスポーツですが、武道はチームスポーツではありません。団体戦はありますが、基本的に集団戦ではなく、一対一の対戦です。

そして個人の戦いでありながら、一緒に稽古をしている仲間の存在があるのです。大学の剣道部を見ていても、熾烈なレギュラー争いがあり、「後輩に負けたくない」「先輩に負けたくない」といったライバル意識を持って、学生たちは鎬(しのぎ)を削っています。

先生から学んだ基本の技を、ライバル相手に試してみる。自分なりに工夫してみる。これが自分の得意技となり、試合でも勝てるようになると、ものすごくうれしいわけです。

周りは皆ライバルでもあるけれど、相手も一生懸命やっている。だから自分も一生懸命やる。そこから相手に対する思いやりが生まれてきます。仲間に対する感謝と共感。武道ならではの独特な絆が生まれるのです。

チームスポーツでも、チームメイトとの間に仲間意識は生まれますが、剣道の場合は、戦う相手に対して、勝っても負けても感謝の念が湧いてきます。これはやはり、スポーツの絆とは違うものです。

私は剣道を始める前、ニュージーランドでサッカーとクリケットをやっていたので、チームプレイの楽しさも知っています。サッカーやクリケットと比べると、剣道は孤独です。

道場のなかに先輩がいる、後輩がいる、先生がいる。周りにいろいろな人がいて、皆、一緒に稽古している。けれど、やはり孤独なのです。武道は戦の世界で生まれたもの。元をたどれば、人を殺すための技術です。それでも剣道は相手がいなければできません。だから相手の存在をリスペクトするようになります。矛盾した不思議な感情ですが、修行が進むにつれ、戦う相手に対して深い感謝の念を抱くようになるのです。

この独特な感謝の念から、相手への思いやりが生まれます。他者への想像力を働かせて、眼の前の相手を理解しようとします。私の場合、日本で剣道を学ぶようになってから、基礎的なマナーが身に付き、以前よりは他人に気を利かせることができるようになりました。剣道では「形」としての礼法をはじめに学びますが、仲間との研鑽を重ねるうちに、形式的でない本当の「礼」ができるようになっていきます。

守破離の「破」は、仲間と鍛錬することで、壁を破る段階です。

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風景がガラリと変わる段階

先生から学ぶ「守」、仲間と鍛錬する「破」。その次の「離」の段階では、守と破で得たものを活かして、さらに工夫することになります。

たとえば、技はある程度できるようになった。試合でも勝てるようになってきた。だけど「どうしてもこの人に勝てない」という相手が出て来ます。道場内の基準からすると、それほど強い相手ではないのに、なぜか勝てない。

この段階になると、基本稽古の他に、「相手の技や癖を分析して作戦を立てる」「その相手専用のオーダーメイドの技を開発する」といった、新たな工夫が必要になってきます。

「どうすれば勝てるのか?」。想像力、作戦力、前に踏み出す力。答えが見つかるまで考える、考え抜く力。そして、仲間との協働作業も必要です。試合の感想やアドバイスをもらう、技を開発するための稽古相手になってもらうなど、集合知を結集します。

まず先生から学び、仲間との関係性のなかで、自分の課題を見つけていく。そしてその課題を解決するための工夫をする。たとえば「どうしても勝てない相手がいる」というのが課題なら、「作戦を立て、技を開発し、その相手に勝つ」ことが解決のための工夫となります。守破離の最後となる「離」の段階です。

私の経験でも、武道修行で大きな比重を占めているのは「離」の段階、つまり「自分で課題を見つけて、自分で解決をする」ことでした。

「先生の言うことには無条件で従う」というイメージが、伝統文化にはあるかもしれませんが、少なくとも武道は違います。「先生の言いつけを守る」という発想は、ともすれば「先生の言う通りにしていればよい」という思考停止に陥ります。技術の習得において、それは一番やってはいけないことなのです。

自分で課題を見つけて、自分で解決をする。常に問題意識を持って、物事に取り組む。決して楽なことではありません。それは厳しいことです。厳しいけれど、その厳しさのなかに、努力する喜び、壁を越えていく喜びがあるのです。「自分で課題をクリアした」という達成感が生まれます。成功体験が自信となります。この喜びを知り、自主性を育んでいくことが、守破離の「離」の段階ではないでしょうか。

そして修行を続けていくと、さらに高い壁にぶつかります。越えられそうにない、高い壁です。ここで「守」に戻るのです。この段階で、改めて先生に質問します。先生の方から声をかけてくることもあるでしょう。よい先生は、弟子のことをよく見ています。先生のアドバイスは具体的なものとは限らず、禅問答のような抽象的な言葉もありますが、それを自分なりに考え、答えを探していくのです。

武道修行の守破離のプロセスは、「守」に始まり「離」に終わる直線的なものではありません。「離」まで行くと、次の「守」がまた始まります。守破離は何度でも繰り返す、円環を成すプロセスなのです。

写真/shutterstock