中世スペインの城で「女性戦士」の遺骨を発見! / Credit:Generated by OpenAI’s DALL·E,ナゾロジー編集部
戦いは男だけの世界ではありません。
歴史を振り返ってみると、あらゆる時代に腕の立つ女戦士が存在していました。
そして中世スペインにも戦闘で命を落とした女騎士がいたようです。
スペインのルビーラ・イ・ビルジーリ大学(URV)はこのほど、12世紀頃の遺跡から23名の騎士団の遺骨を発見し、そのうちの一人が女性であることを発見しました。
この女性は当時、キリスト教国家がイスラム教国家に奪われたイベリア半島の土地を奪還する「レコンキスタ(国土回復運動)」の中の一戦で命を落としたと見られています。
彼女は一体どんな騎士団に所属していたのでしょうか?
研究の詳細は2024年5月14日付で科学雑誌『Scientific Reports』に掲載されています。
目次
23体の遺骨は「カラトラバ騎士団」の戦士たちカラトラバ騎士団は何の戦いで戦死したのか?女騎士はどんな人物だったのか?
23体の遺骨は「カラトラバ騎士団」の戦士たち
研究チームは今回、スペイン中部グアダラハラ県にある「ゾリータ・デ・ロス・カネス城」の遺跡に埋葬されていた23名の遺骨を調査しました。
この城は西暦852年に建設され、今も同じ丘の上に残っています。
25体の遺骨が発見された「ゾリータ・デ・ロス・カネス城」 / Credit: en.wikipedia
ゾリータ・デ・ロス・カネス城については歴史的な経緯が十分に知られており、1174年に「カラトラバ騎士団」の主要な拠点となりました。
カラトラバ騎士団とは、当時のカスティーリャ王国(後のスペイン王国の中核となる国)において、カトリック教会に属するシトー会派によって設立された騎士団です。
スペインでも最初期に設立された戦闘騎士団であり、1164年にローマ教皇より正式に認可を受けました。
シトー会派の騎士団は通常、そのほとんどが騎士や騎士の子息で構成されていましたが、カラトラバ騎士団が少し毛色が違います。
彼らは僧侶が騎士を兼任した、いわゆる「ウォリアーモンク(Warrior monk)」だったのです。
ウォリアーモンクは、宗教団体が異教徒からの自衛や信徒の保護、施設や祭事の警備で活躍した戦士を指します。
カラトラバ騎士団の紋章 / Credit: ja.wikipedia
そして今回遺跡で見つかった23体の遺骨は時代的にも、カラトラバ騎士団に所属した戦士たちと見て間違いありませんでした。
では、彼らはどんな戦闘に参加して命を落としたのでしょうか?
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カラトラバ騎士団は何の戦いで戦死したのか?
当時のカスティーリャ王国で起こっていた大きな争いといえば、歴史上でも有名な「レコンキスタ(国土回復運動)」です。
今日スペイン・ポルトガルがあるイベリア半島は、西暦711年にイスラム勢力のウマイヤ朝が侵入し、そこからイスラム教徒が半島全域を支配下に収めていきました。
そこでキリスト教国家がイスラム教徒に奪われたイベリア半島を奪還しようとして718年に開始した聖戦がレコンキスタです。
カラトラバ騎士団も12世紀からレコンキスタの戦闘に参加し、イスラム勢力と戦って勇名を馳せました。
その中で、カラトラバ騎士団がゾリータ・デ・ロス・カネス城を拠点として確立する上で決定的となった戦いが2つあります。
それが1195年の「アラルコスの戦い」と1212年の「ナバス・デ・トロサの戦い」です。
「ナバス・デ・トロサの戦い」を描いた絵画 / Credit: ja.wikipedia
アラルコスの戦いでは、カスティーリャ王アルフォンソ8世の率いるキリスト教国家がイスラム軍に大敗を喫し、戦闘に参加したカラトラバ騎士団もやむなく敗走しました。
そこで彼らが主な避難所としたのがゾリータ・デ・ロス・カネス城です。
さらに両軍の戦闘は続き、1212年にナバス・デ・トロサの戦いが勃発しました。
これはキリスト軍が約5万、イスラム軍が約12万5千と兵力に大きな差があったにも関わらず、キリスト軍が勝利した歴史的な戦いでした。
その勝因は両軍の士気の差にあったと伝えられています。
アルフォンソ8世はアラルコスの雪辱を果たすことに執念を燃やしており、兵士たちも土地奪還と戦利品獲得の野心が合わさり一丸となっていました。
一方のイスラム軍は兵士の数は多いものの、その中身は雑多な民族を寄せ集めた混成部隊であり、おまけに内部でもモロッコ人やアンダルス人を差別していたため、まとまりがなかったのです。
この戦闘に勝利した後に、ゾリータ・デ・ロス・カネス城はカラトラバ騎士団の拠点として確立されました。
カラトラバ騎士団の遺骨が見つかった場所 / Credit: URV – Body of a woman is discovered among the remains of 25 warrior monks of the Order of Calatrava in Guadalajara(2024)
この2つの戦いは、ゾリータ・デ・ロス・カネス城が深く関わった戦闘であることから、23体の戦士たちはいずれかの戦闘で命を落とした可能性が高いと研究者らは見ています。
研究主任のカルメ・リセック(Carme Rissech)氏は「遺骨のほとんどには貫通した刺し傷や鈍器で殴打された外傷がかなりの数見られた」と話しました。
おそらく、戦士したカラトラバ騎士団を城まで運び帰った後に埋葬したのでしょう。
しかし遺骨の調査を進める上で、驚くべき事実が発覚しました。
なんと戦士のうちの一人は男性でなく、女性だったのです。