相手を深く理解する「対面力」を培う
生身の人間と向き合う。互いの眼を見て、打ち合う。人と人の間に生まれる「間合」のなかで行なう剣道は、完全なるアナログの世界です。
変な言い方をすれば、裸のつきあいです。ふたりだけの世界。何も隠さず、大きな声を上げて、気迫でぶつかり合う。剣と剣、体と体、気と気、意思と意思のぶつかり合いです。
今の世の中、人と人とが直接触れ合う機会は、減っていく一方です。コロナ禍を経て、リモートワークが定着し、イベントやセミナー、学校の授業なども、リモートの同時開催で行なうことが増えました。
日常的なコミュニケーションも、スマートフォンを使って、SNSやメールで行なうことが大半です。言葉のちょっとした行き違いで、一方的に相手をブロックする。「あの人は嫌い」「この人はおかしい」と、自分の意に沿わない相手を排除していく。
世界中の誰とでも繫がれる利便さの裏で、コミュニケーションの幅はむしろ狭くなっていて、他人に対して苦手意識を持つ人が増えてきている。私にはそのように感じられます。
剣道では、好きも嫌いも関係ありません。苦手だろうと嫌いだろうと、稽古となれば、その人と向き合わざるを得ません。相手の眼を見て、声の調子や息づかいに耳を澄ませ、全身でぶつかっていきます。
これは文字通り「人と触れ合う」ことです。いろいろなタイプの人と剣を交えることで、コミュニケーションの基礎をつくることができます。苦手なタイプや気の合わない人とも正面から向き合うことで、相手に抱いていた先入観や偏見、自分の小さなこだわりは払拭されます。どのような相手が来ても落ち着いて柔軟に対応できる、「対面力」が培われていくのです。
「対面力」は、コミュニケーション能力を表す概念として、明治大学教授の齋藤孝氏が提唱していますが、武道のコミュニケーションにも当てはまる言葉だと思います。
コロナ禍が明けて、私の大学でも「リモート授業」「対面授業」という言葉を耳にするようになりました。それまで普通だった「教室で顔を合わせる」ことを、「対面授業」と呼ぶ。デジタルの仮想空間が生活空間を侵食していく、時代の流れを感じます。
言語学の研究によると、コミュニケーションにおける情報伝達で、言葉が果たしている役割はおよそ7パーセント。言葉自体の役割は1割にも満たず、人は9割以上の情報を、相手の表情やボディランゲージなどの非言語的要素から読み取っているといいます。
「イエス」や「ノー」といった言葉の内容そのものよりも、その人の口調やリズム。目線から伝わる表情。身を乗り出しているか、引いているかといった距離感。こういった非言語的な情報を、無意識に私たちは読み取り、他人とコミュニケーションしています。
ところがZoomなどのリモート環境になると、言葉以外からその人が発している大事なサインの多くが、抜け落ちてしまいます。対面の授業でも、コミュニケーションは一方的になっていますが、今後リモート授業が増えていくことで、「学生は先生の言うことを一方的に聞くだけ」という傾向が強まることを危惧しています。
剣道は「対面」でしか行なえません。距離をはかりながら間合を取り、表情や仕草といった非言語的な手がかりから、相手の気持ちを読んでいきます。また剣道は武道ですから、気をつけなければ、相手にケガをさせる恐れがあります。力加減や感情のコントロール能力、相手に対する配慮も身に付けていきます。
対面する時は相手と向き合うと同時に、自分と向き合うことにもなります。そのプロセスで、先述の「内面力」も培われます。対面力と内面力はワンセットで、人とうまくつきあうためには、自分をどこまで理解できているかが問われます。
このようにして対面力を培うことで、日常生活でも相手の発する非言語的なメッセージに敏感になり、「ここは進むべきか、引くべきか?」といった間合の取り方もわかるようになります。
これからの世の中は、ますます武道のチャンスだと私は思っています。武道はデジタルの世界におけるアナログそのもの。人と人が直接触れ合い、心を育てていく貴重な時間を提供してくれるのです。
写真/shutterstock
(広告の後にも続きます)
限界突破の哲学 なぜ日本武道は世界で愛されるのか?
アレキサンダー・ベネット
2024年7月17日本体970円+税224ページISBN: 978-4-08-721322-5
NHK「明鏡止水」シリーズにも出演のニュージーランド人武道家が説く「身体と心の作法」
日々の鍛錬を積み重ねることで、体力と年齢の壁を超える。
日本武道は今や国境を超えて世界的な注目を集め、実践者を増やしている稀有な身体、精神文化であり、人生百年時代といわれる現代に必須の実践の道だ。
17歳で日本に留学して以来、武道に魅せられたニュージーランド人の著者がその効用と熟達について考える。
剣道七段をはじめ、なぎなた、銃剣道等各種武道合わせて三十段を超える武道家が綴る、人生の苦難をも乗り越える限界突破の哲学。
◆推薦◆
スポーツをこえた武道の奥義にせまろうとして、はたせない。
そのもどかしさを剣道歴三十数年のニュージーランド人が、ありのままに書ききった。
今の日本が喪失しつつある精神のあり方を、かいま見せてくれる。
井上章一氏(国際日本文化研究センター所長)
◆目次◆
第一章 限界突破の作法
第二章 身体の整え方
第三章 心の整え方
第四章 勝負の実践哲学
第五章 人間の壁を越えて