総裁選で注目を集める小泉進次郎。前編では幼少期から学生時代までの生い立ちに迫ったが、政治家を目指すうえで足かせとなったのが学歴だった。今回は、彼がこの問題をどう乗り越えて政界へと殴り込みをかけたのか探る。(敬称略)
「欠点の少ない小泉純一郎」と評す声も
政治家を志すようになった進次郎にどう箔をつけるか。周囲が頭を悩ますなか浮上したのが名門・コロンビア大学大学院進学話だった。関東学院大学教授から相談を受けたという、天川由記子(2010年に取材。当時は東京福祉大学教授、現・国際関係学研究所所長)が振り返る。
「知人の教授から『小泉首相の次男がコロンビア大学大学院に留学をしたいと言っている。でも進次郎君はTOEFLも500点に満たなく英語力に不安がある。どう推薦状を書けばいいのか』と相談を受けました」
小泉進次郎がコロンビア大学大学院を志したのは、同校で政治学を教えジャパン・ウォッチャーとしても知られるジェラルド・カーチス教授に学びたかったためだという。
カーチスは、小泉純一郎首相(当時)とも親交を持つ知日研究者の一人。だが、進次郎が留学するには同大学はレベルが高過ぎると思われていた。
「NSC(アメリカ合衆国国家安全保障会議)アジア部長で、コロンビア大学出身のビクター・チャに連絡をしたところ、推薦状には『首相の息子であること』と、『将来政治家を目指していること』を明確に書くべきだとアドバイスを受けました。
さらにチャからは『カーチスにも連絡をしておく』とも言われた。ただ、小泉首相から直に進学を頼まれたということはありません」(天川氏)
“周到な準備”のかいがあってか、進次郎は無事コロンビア大学大学院に合格する。当時は、ブッシュ&小泉の「日米関係の黄金時代」と言われた時代でもあり「首相のコネ」と揶揄された。
だが、むしろ「現職総理の息子なら受け入れたい」という大学やアメリカ当局の意向が、進学には強く影響していたようだ。進次郎は「政治家になる意思がなければコロンビアには来ていません」と周囲に語っていたという。
進次郎は過去のブログで自らを「ムリができるタイプ」と評している。留学前に疑問視されていた英語力も、ディベートに参加できるほど飛躍的に進歩していた。
卒業後、進次郎はワシントンの大手シンクタンクの一つであるCSIS(米国戦略国際問題研究所)の日本部に就職をする。彼の上司となったマイケル・グリーン日本部部長(当時)はブッシュ政権下の国防総省出身で、小泉首相とも太いパイプを持っていた人物。
アメリカのエリート機関が総理大臣の息子を受け入れたことについて、グリーンは「大名の人質だよ」と説明したという。
「進次郎くんはグリーンの助手としてパソコンを抱えて走り回っていました。シンポジウムがあれば、最前列かぶりつきでノートを取り、グリーンと共同で論文も発表しています。人脈を広げようとあちこちに顔を出し、国防総省の野球チームにも入っていると話していた。周囲の期待に応えようという強い意思を感じましたね」(CSISの同僚)
アメリカで箔をつけた進次郎は、帰国後、父親の秘書となる。進次郎は尊敬する人物として父・小泉純一郎をあげている。変人だった父・純一郎に比べて、「礼儀正しく人の話をよく聞く。欠点の少ない小泉純一郎」(政治ジャーナリスト)と彼を見る向きも少なくない。云わば「如才ない息子」への贔屓目が、彼への注目を支えているともいえる。
小泉家にとって政治家は“家業”である。曾祖父・又次郎(元逓信大臣)、純也(元防衛庁長官)、純一郎(元首相)と続き、政治家の系譜は進次郎で四代目にあたる。父・純一郎は姉・信子を公設秘書、弟・正也を私設秘書として雇い、政治家の収入で小泉家を支えていた。
進次郎は政治家を志す理由について、周囲にこう漏らしていた。
「うちは麻生さんの家と違い副業がない。政治家がいなければ(小泉家は)倒産するんです――」
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森喜朗が進次郎に期待するのは“あの時”の純一郎と同じ役割
政治家になるまでの前史を取材して、筆者が小泉進次郎に抱いた印象は意外と“慎重”な人間であるということだ。
特に印象に残ったのが、高校野球デビューではフォアボールを選んだというエピソードだ。彼の本質をそこに感じたのである。アメリカで「見栄えのいい経歴」を作るという用意周到さ、父親の模倣とも言えるパフォーマンススタイル、そして後述するが長老に推されての総裁選出馬と、彼の行動の裏側には常に生来の“慎重”さが見え隠れする――。
一方で、政治家を志す理由が、家柄や父親の影響でしかないところに世襲議員の危うさも感じた。どのような政治を志しているのかという人間としての原点や、政治への情熱が、少なくとも前史からは見出すことができなかったのだ。
2009年の初当選からわずか15年――。進次郎は現在、首相の座を射程圏内に見据えている。彼の総裁選出馬に大きな影響を与えたのが旧安倍派の「陰のドン」とされた森喜朗の暗躍だったとされている。
7月中旬に森、父・純一郎、中川秀直元官房長官、ジャーナリストの田原総一朗との会食で、森が「絶対に進次郎がいい」とプッシュ。進次郎総裁選出馬の流れができたのだ。
「森は過去の成功体験に固執したのではないかと言われています。森が首相のとき数々の失言もあり支持率が8%まで低迷した。自民党内からも森政権では選挙を闘えないと批判が噴出。結局、森は辞任に追い込まれた。後任首相に選ばれたのが小泉純一郎だった。
同じ清和会の政治家でありながら、小泉純一郎は特異なキャラクターで改革のイメージを振りまき、“小泉旋風”というブームを巻き起した。自民党政権が続いているにもかかわらず、疑似政権交代感を演出することができたのです。
同じように岸田内閣も支持率15%あたりで低迷し選挙での敗北を危ぶまれていた。森が進次郎を推す理由は、あのときの小泉純一郎と同じ役割を、進次郎に期待しているのだと言われています」(政治ジャーナリスト)
自民党総裁選において進次郎は森だけではなく、菅義偉、岸田政権の中枢にいた木原誠二や村井英樹らにも推されているとされる。環境大臣しか務めたことがないなど、キャリアと実績が乏しいなかで、本命候補となっている理由は、やはり小泉純一郎の息子であるという知名度とブランドイメージが大きい。
小泉進次郎という政治家が何を成し遂げようとしているのか。まだ国民にその実像は見えてこない――。
取材・文/赤石晋一郎
集英社オンライン編集部ニュース班