いま自民党総裁選の大本命とされるのが小泉進次郎である。8月26日に報じられた産経・FNN合同世論調査によると「次期自民党総裁にふさわしい人」という質問で1位となったのが、小泉進次郎の22.4%だった。2位が石破茂の21.6%、3位が高市早苗の10.8%という結果となり、世間も小泉進次郎を次期首相候補と見始めていることが伺える。永田町、霞が関では、すでに進次郎総裁含みで動き出しており、新首相のもと10月11日解散、11月10日選挙というシナリオも囁かれ始めた。(敬称略)
小泉純一郎の、父としての顔
いま最も権力に近い男、小泉進次郎とは何者なのか――?
筆者は長らく小泉純一郎、小泉進次郎という小泉家二世代についての取材を続けてきた。FRIDAY記者時代は当時首相だった小泉純一郎の来歴、そして「政治とカネ」問題を追い、週刊文春時代は世襲議員となった小泉進次郎の人物取材を重ねた。
当稿では、過去の取材メモなどをもとに小泉進次郎という政治家の前史を追いながら、その実像に迫ってみたい。(敬称略)
進次郎は1981年に父・純一郎、母・佳代子のもとで生をうけた。母親である宮本佳代子は神奈川県鎌倉市生まれ、エスエス製薬の元会長である泰道照山の孫娘だ。1978年、青山学院大学在学中に小泉純一郎とお見合いし結婚。純一郎との間に孝太郎・進次郎・佳長の3男をもうけた。
1982年、三男の佳長を妊娠中に夫の純一郎と離婚。母親と三男は去り、長男・孝太郎(現・俳優、タレント)と次男・進次郎の二人は小泉家に残った。
近所の主婦が語る。
「小さいころの進次郎は、誰か人が来ると這ってでもその人に近づこうとしたそうで、母親を知らないせいか人恋しさを感じさせる一面があったみたいです。
純一郎の姉である長女・道子さんが家事を、もう一人の姉・信子さん(純一郎の元公設秘書)が躾などの教育をしていたようです。信子さんは厳しい人で『進次郎!』とよく叱っていた」
父・純一郎は離婚時に妻が身ごもっていた三男・佳長とは一度も会おうとしなかったが、小泉家に残った兄弟には深い愛情を注いだ。
「父親は議員宿舎生活でしたが、兄弟には毎日電話をしていたようです。進次郎くんも『お父さんはすごく自分のことを考えてくれている。お父さんが心のよりどころになっている』と話していました」(後援者)
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チームプレーに徹した進次郎の球児時代
小泉家の教育方針はエリート教育というよりは、自主性にまかせたものだったようだ。兄・孝太郎も進次郎も、関東学院大学の付属校である関東学院六浦小学校に入学し、同中学・高校へと進学をしている。進次郎は兄を追うように野球を始め、甲子園を目指す野球少年として青春時代を過ごした。
進次郎の野球部時代の証言をしてくれたのは、同校野球部顧問・小貫直俊氏(注:2010年に取材)だ。
「彼が2年生のとき、夏の大会で初めて公式戦のスタメンで起用しました。そのとき彼はフォアボールを選んだのです。試合後に『よく我慢してチームプレーをした』と誉めたことを記憶しています。高校生はたいてい打って目立ってやろうと思うもの。彼は真逆で、堅実で地道なタイプだったのでビックリしました」
進次郎が高校球児だった時代、神奈川県は怪物・松坂大輔が君臨していた。松坂と横浜高校でバッテリーを組んだ上地雄輔(タレント)は横須賀出身であり、考太郎と上地雄輔は「3歳の頃から一緒」という幼馴染。
上地は進次郎とも仲がよく、「進次郎の歴代彼女を知っている」と上地は公言したこともあった。また、上地の弟と進次郎はともに野球をしたという間柄だった。さらには、上地の父親である上地克明は政治家であり、小泉家ともゆかりが深く、現在は横須賀市長を務めている。
進次郎を擁する関東学院六浦高は決して強豪校といえるような学校ではなかった。
ところが進次郎の時代にメキメキと実力をつけ、練習試合では松坂のいた横浜高校に勝ったこともあった。1番バッターでセカンドを守った進次郎は三年生で副キャプテンを務めた。
関東学院六浦高校は、激戦区といわれる神奈川で、1999年の春の大会でベスト8、夏の大会でベスト16という、同校にとって「10年に一回あるかないか」(野球部OB)の好成績をおさめた。
野球部関係者に話を聞くと、センスは兄・孝太郎のほうが良かったのではないかという声は多い。孝太郎は長打力がありクリーンナップタイプを打ち、チームの要となる存在だった。一方で進次郎はセンター返しを中心とするチームバッティングを自ら行なうような、バイプレーヤータイプだったという。
選手としてはチームプレイヤーだった進次郎だが、政治家の息子であるという経歴もあり目立つ存在だった。
「僕は何度か『政治家を継ぐのはお前しかいないんじゃないか』という話もしたんですけど、進次郎は『いやー、父の仕事を見ると大変なのはわかるので。僕には務まりません』と言っていた」(前出・小貫氏)
このころの進次郎には、政治家志向がなかったのだ。その考えを一変させたのが、兄・孝太郎の存在だった。