パラアスリートや障害を持つアーティストの内面に迫ったドキュメンタリーシリーズ『WHO I AM』で、国内外から高い評価を得ているWOWOW。パラスポーツの魅力を伝えようと真正面から取り組み、米国テレビ界の最大の祭典であるエミー賞にエントリーされたほか、数々の受賞歴がある。
第2回では「WHO I AM」を放送前から高く評価し、バックアップして来たWOWOW会長、田中晃氏に、パラスポーツ中継の歩みと、賭ける思いを聞く。
今年4月にWOWOW社長を退任し、会長に就任した田中晃氏は、大学卒業後に日本テレビに就職し、プロ野球、箱根駅伝、世界陸上、サッカーのトヨタカップなど数々のスポーツ中継を指揮してきた。
その彼が、2005年に日本テレビを退社してスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSAT)に転じてから取り組むようになったのが、パラスポーツの中継だった。そこで気づいたことは、それまで経験したビッグスポーツイベントとは異なる「パラスポーツならではの魅力」だった。
それは2008年のことだった。この頃、2016年のオリンピック・パラリンピックを東京に招致しようという動きが本格化していたが、お世辞にも招致委員会でパラリンピックが重視されていたとは言えなかった。
2006年11月に設立された招致委員会の名称も「東京オリンピック招致委員会」で、パラリンピックの名称は含まれていなかったほどだ。
委員会のトップに就任した石原慎太郎東京都知事(当時)が熱心に活動して機運を高めていたが、パラリンピックの価値が語られることはほとんどなく、たまに語られても報道されることは少なかった。
誰も気にしていなかったパラリンピック中継
そのなかで、田中氏には懸念していることがあった。自分には、日本テレビ時代に数々のスポーツ中継を成功させてきた実績がある。
また、民放連のスポーツ編成部会の幹事として、サッカーのワールドカップやオリンピックなど、国際ビッグスポーツイベントの放送を統括したこともある。だが、パラリンピックをテレビで放送した経験はなかったのだ。
「世間で東京オリンピックの招致活動が話題になるなかで、テレビ人の私としては、現実に東京で開催されることになった場合、『パラリンピックの国際映像の制作はどうするんだろう』と思ってしまったわけです」(田中氏)
田中氏は1991年の東京世界陸上の中継で、マイク・パウエルが達成した8m95の世界記録の瞬間を放送した経験を持つ。カール・ルイスとの死闘の末に生まれたこの世界記録は今でも破られておらず、陸上競技中継の名シーンとして今でも語り継がれている。
国際映像を制作して世界に発信することの重要さと面白さを知っていた田中氏は、日本のテレビマンとしてパラリンピックの国際映像制作を何とか成功させなければと考えていた。
「自分も含め、同業者の仲間や制作会社もみんなパラスポーツなんて見たことない。ルールも知らないから、魅力もわからない。北京パラリンピックは地元中国のCCTVが国際映像をすべて制作していた。
もし、2016年に東京にパラリンピックが来たら、日本のスポーツ中継制作者たちが作らないといけない。そんなことを思って、今から準備をしないと間に合わないと思ったわけです。スカパー!なのに」(同)
その後、北京パラリンピックの前に、まずは車いすバスケットボールの生中継をすることにした。ルールの解説、チームの戦略などをアナウンサーが伝えるなかで、困ったのが選手のプロフィールを伝えることだった。
試合中に障害を負った時の経験を伝えると、スポーツ中継としての面白さが失われるのではないか。そこで、田中氏はアナウンサーに「迷ったら障害のことは触れなくていい」と指示を出した。
「実際に、アナウンサーは試合中は障害のことにはほとんど触れることができなかった。試合が終了して、優勝したチームのヒーローインタビューが終了して、ようやく小学生の時に交通事故にあって、家族の応援で競技を続けてきたという話をしたんです」
それで迎えた北京パラリンピックでの本番。今回も抑制の効いた中継をするのかと思いきや、まったく違っていた。
「わずか数カ月しか経ってないのに、試合中に『小学生の時に交通事故で足を失い……おっと、シュートが決まった!』なんて実況しているんですよ(笑)。つまり、中継する我々の方にバリア、遠慮やためらいがあったんだなとわかった。
それも、たった数カ月で乗り越えられるほどのもので、一度経験すれば、そのバリアはすぐに弱くなる。回数を重ねればやがて消えてしまう。それは、おそらく視聴者も同じでしょう。これまでのスポーツ中継とは異なる経験で、とても新鮮でした」
障害者に対する偏見なんて簡単に壊せるもので、そこにパラスポーツを中継する意義を感じた。
それだけではない。テレビマンとしてパラスポーツの面白さを探究していると、オリンピックとは異なる独自の魅力があることに気づいてきた。
「冬季パラリンピックのアルペン種目ダウンヒル(滑降)では、視覚障害の選手も出場します。それが、時速100キロを超えるスピードで滑り降りるんですよ。
スロバキアのマレク・クバヅカはその中でも珍しい全盲の選手で、全盲の選手がすべての旗門を正確に通過することって、ほぼ無理。もちろん、彼もレース前にはもちろん『メダルを取りたい』とは言うんだけど、そんなことは関係ない。完走したことで、観客やライバル選手から盛大な拍手が起こる。
全盲の彼が完走することの難しさは、順位とは関係のない価値があって、本当にそのスポーツが好きな人には理解できている。パラスポーツ中継では、それを伝えたいと強く思うようになったんです」
0.01秒のタイムを縮めるために、日々の努力を重ねるのはオリンピック選手と同じだ。それと同時に、パラアスリートは自分自身の障害に向き合いながら自己研鑽を重ねる。その姿は、メダルの色を超えた価値がある。
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パラリンピックの3つの魅力
田中氏は、パラスポーツの魅力について、
①スポーツとしての原初的な魅力に溢れていること
②フェアネスの概念が最上位にあること
③勝利以上に自分を超えることに意義があること
の3つを挙げる。
そのことを示す象徴的な出来事もあった。
リオオリンピックが間近に迫った頃、ロシアで国家ぐるみでドーピング隠しをしていた事件が発覚した。するとIPC(国際パラリンピック委員会)は、IOC(国際オリンピック委員会)に先駆けてロシア選手の出場停止を決めた。
パラスポーツでは、選手の障害によって細かくクラス分けが実施されている。選手は厳格な審査を受ける必要があり、時にはクラス分けの結果に納得できず、不満を持つ選手も少なくない。だからこそ、ドーピングで自己の能力を偽ることはフェアネスの価値を崩す行為で、勝利のみを最上の価値とすることはパラスポーツの根幹を揺るがす行為とみなされた結果だった。
パラスポーツの魅力をテレビを通じて伝えることには、多くの意義があるはずだ。田中氏はそう考えている。
「今の世界は、他者に対してどんどん不寛容になっている。インターネットには情報があふれ、SNSが発展して、自分の価値観に合った情報にはどんどん深く知れるようになったけど、自分と違う意見の人に対しては不寛容でバッシングもする。そこにAI(人工知能)技術が入ってきて、人間がますます操作されやすくなっている。そんな時代だからこそ、パラスポーツの価値があるのではないかと、僕は思うんです」(同)
では、その魅力をどうやってテレビで伝えるのか。それは「フィロソフィー(哲学)の具現化」だという。その意味を紐解くには、田中氏が日本テレビ時代に培ったプロ野球や箱根駅伝などをテレビ中継した経験がヒントとなる。
第3回(最終回)では、田中晃氏に箱根駅伝中継の秘話や、氏が貫くスポーツ放送の信念について聞く。
写真/越智貴雄[カンパラプレス]・ 文/西岡千史